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Last Update : 2007/01/15 10:43:21

2004/04/25 (日)

音楽「について」

何らかの事象や事物「について」の言葉は、その書き手が「について」何ごとかを書き得るための一次的な体験すなわち、たとえば小説ならば、それを読むという行為、を既にしている者としていない者の二種類に、その言葉の読み手は必ず二分されることになります。
音楽という対象が、他のあれやこれやに対して決定的に特殊なのは、その体験としての中枢を、言語で表わすことが絶対的に不可能だ、ということです。つまり端的にいって、おとはことばにはできない。
音楽においては「聴取」という具体的な経験だけがもっとも本質的なことなのであって、言葉によって「聴取」へと漸進しようとする目論み自体が、既に最初から倒錯したものだと言っていいと思います。
たとえば小説や詩などのような、それ自体が言葉による表現や、あるいは映画のようなものでも、何らかの還元的な作業によって、もちろんそれによって抜け落ちたり歪小化されたりしてしまう部分は多いとしても、言葉によって「について」何ごとかを述べることは、音楽に比べれば明らかに容易、というか許されていると思います。音楽に近いのはおそらく絵画でしょうが、まだ視覚的体験のほうが、それ「について」語るための言葉を人間の文化はストックしてきていると思います。
だから、おとにことばでせまるのは単なる不毛なのか? もちろんそうではありません。
音楽に対して、言葉ができることは、僕は基本的に二つあると思います。まずひとつは、まだその音楽を知らない/聴いたことがない不特定の他者に対して、その存在を知らせ、具体的な「聴取」への欲望を装填することです。そしてもうひとつは、既に聴いたことがある者であっても、その言葉を読んだことによって、その音楽の聴こえ方が多少とも変わってくる、それもポジティヴなベクトルで変わってくるような、そんな言葉を提出することです。このふたつに比べたら、資料的な補足なんて、あってもなくてもいいものだと思います。
音楽「について」の言葉と、それ以外の文化とか表現「について」の言葉との違いは、たとえば、僕が読み手として「について」の言葉を読む時に時として感じる、ある種の違和感とも関わっています。
たとえば、ある小説「について」の文章があるとすると、それは往々にして、具体的な「読むこと」を喚起することよりも、それを読んでいない読み手に対しても、そこでの論旨がその場でおおむね了解できるように書かれている、ことが圧倒的に多いと思えます。
言い換えると、対象となっている小説自体よりも、その小説「について」そこでの書き手が主張しようとしていることの方が、重要視されているように見えることが多いのです。
つまり小説「について」の言葉の場合は、(それは実はまったくの過ちなのですが)物語や主題への還元作業によって、対象となる作品への誘引のベクトルとはかかわりなしに、何ごとかを述べることが出来てしまうということです。そして、だからこそ、小説「について」の言葉=批評は、それ自体として、もうひとつの表現行為になりがちです。
ところが音楽の場合は、小説ならば(錯誤としてであれ)可能な還元が根本的に不可能です。したがって、まさに書かれている対象そのものである、ある音楽(の聴取)は一種のゼロ記号として作用し、言葉はその周囲を旋回しながらも、けっしてその空隙を埋めることはできません。
だから、音楽「について」の言葉は、どうしてもただそれだけでは充足することができません。他の「について」の言葉ほどに自己完結することは原理上、不可能なのです。
このことはすなわち、音楽「について」の言葉は、小説などの場合とは異なって、語られている対象に対置されるような「表現」にはなりがたい、ということを意味しています。それは常に「聴取」の不在という負い目を持っているのです。もっと言えば、そこでの言葉は、常に「聴取」の実現可能性によって脅かされている。
僕にはこのことが、逆説的に、音楽「について」の言葉が、ニュートラルな批評の言語足り得る証左なのではないかと思えます。あくまでも対象にフォーカスし、書き手自身の表現への傾斜など顧みることがない、批評の在り方を照射しているのではないかと。
ところが、にもかかわらず、音楽「について」の言葉の世界には、むしろ圧倒的なまでに、書き手の「表現」でしかないものが蔓延しています。つまり「音」ではなくて、単に「私」を語っている。
それはおそらく、脆弱な感性/知性ゆえに「聴取」の不在=ゼロ記号に耐え切れないか、あるいはそもそもそうした構造にまるで無自覚な書き手が、文字からは音が聴こえてこないのを良い事に、自堕落に「表現」のみをのうのうと行なってしまっているからです。
そこでは、小説などのように、還元された形でも対象が残されていることさえなく、ただひたすら、音楽とは実のところまったく無関係な「私」「について」の言葉が、音楽「について」の言葉の衣を被りつつ、ダラダラと転がっているばかりなのです。
「私語り」の欲望に囚われた書き手と、その強度に憑依される読み手の幼稚な共犯関係において、ただ「音楽」だけが置き去りにされている、という困った構図は、いかにして打開すればいいのでしょうか?

2004/04/24 (土)

そして

ライナーを書き終わりました。
そして今はユリウスの"early works vol.1"を聴いています。ユリウスの作品はすべて好きですが、70年代末〜80年代初頭の発掘音源を纏めたこのアルバムも実に素晴らしいです。

しかし、、、先生〜疲れてくるといつも右目の奥に鈍い痛みがするのですが、何かコワい病気じゃないですよね〜? 人間ドックでMRIとかやっても何も異常はないんですが、、、

いま

来月出るデイヴィッド・グラブス2年ぶりの新作『ア・ゲス・アット・ザ・リドル』の遅れに遅れたライナーノートを書きながら(アンディもう少しだよ〜待っててね!笑)、タワーレコーディングのメンバーPG SIXのソロ"The Well of Memory"を聴いてます。タワレコというとマット・ヴァレンタインが有名ですが、こちらもすごく良いです。モロにインクレディブル・ストリング・バンド。現在のNYの人とは到底思えません。ちなみにグラブスは圧倒的なまでに良い曲だらけの大傑作、なんとドラムスをアダム・ピアースが叩いてます。8月に日本に呼ぶ予定。

今日はデイヴィッド・シルヴィアンのコンサートに行きました。行きの道で中原昌也君に会って、ニューアルバムの事などを聞きました。色々大変だなあ。シルヴィアンはシンプルなセットでしたが、さすがに良かったです。フェネスとのあの名曲「ファイヤー・イン・ザ・フォレスト」も当然やりました(というよりツアーの名前になってた)。アンコールでやったロッキンなアレンジの「ワールド・シチズン」には感動しました。ベイリーとの曲は録音されたギターとの共演だったのですが、中原君に、アルバムで聴いた時からシルヴィアンの歌い方が誰かに似てると思ってたんだけど、後期のザッパに似てない?と言ったところ「そうかな〜?」と返されてしまいました。無調で歌うと皆似てくるんじゃないかな。逆に中原君が「遠くから見てるとシルヴィアンがくりいむしちゅーの上田に見えて仕方ない」と言ってたけど「そうかな〜?」と思った。

渋谷のブックファーストと旭屋で、松田哲夫『編集狂時代』、州之内徹『きまぐれ美術館』、ウルフ・ポーシャルト『DJカルチャー/ポップカルチャーの思想史』、高橋哲哉『〈物語〉の廃虚から』を買いました(僕はほとんど毎日本を買ってるので思い出した時しかメモできないのですが)。

あと例のソフィア・コッポラ本が届きました。やはりいろんな意味でスゴい本だ(笑)。椹木野衣さんの怒りっぷりに驚きました。ギャグとも思えないし、ある意味、なぜ彼が今のような立ち位置になってきたのかが何となく判ったような気さえしました。

2004/04/23 (金)

祝!鈴木あみ復活!!

記者会見をちらっとテレビで見ましたが、目元がコワかったです(笑)
頑張れ〜

昨日のSFC「ポップメディア史」では「90年代」の「前半」を代表する日本のポップ・ミュージックとしてフリッパーズ・ギターとピチカート・ファイヴの話をしました。
そこでもすこし言ったけれど、僕はほぼ「90年代」を通して(聴いてはいたけど)いわゆる「ピチカート的なるもの」に殆ど苛立ちにも近い距離感を感じていて、簡単に言ってしまえば、それは小西氏たちが「90年代」に「80年代」(ピチカートのデビューは1983年)をヴァージョンアップしながら「反復」している(だけ)と見えたからで、何をいまさら「80年代」だよとか思ってたわけなんですが、かなり個人的な感覚になってしまうけど、「90年代」もおわりに差し掛かった頃に出たシングル「東京の合唱」を聴いた時に、なんだかとつぜんすべてがわかったような気がしたのです。この感じをちゃんと説明するのはとても難しいのですが(それを次回の授業で話さなくてはならないのですが)。
ひとつのアウトラインとしては、「90年代」とは、実のところ「80年代」の「反復もしくは持続」の「失敗もしくは不可能性」として決定付けられていて、それゆえにこそ「80年代」とは決定的に違ってしまったのだ、ということを、今年の講義では述べようとしています。つまり、僕が「ピチカート的なるもの」を嫌悪していたのは、「80年代」とはまるで違う「90年代」が招来する筈と期待していたのに、いつまでたっても「80年代」が続いている、と感じてしまったからなのですが、でも「00年代」も半ばに至った現在から振り返ってみると、それもけっして理由のないことではなかったというか、そんな「反復と持続」も、実はかなりしんどいことだったのだな、と思えるのです。
あの「東京は夜の7時」はフジテレビの隆盛と切り離せないと思いますが、ピチカートが解散に際してスタジオライヴを行なったのはBSフジでした(深夜の地上波でも番組は組まれていたと思いますが)。同じフジとはいえ地上波からBSへという違いがここにはある。でもそれはピチカートという存在が縮小されたということではなくて、むしろある意味ではかつてよりはるかに一般化していたのにもかかわらず、敢て小西さんたち自らが「BS」を選択したのであって、それはピチカートの変質(あるいは一貫性?)というよりも、ピチカートが反射するもっと大きな何かの像の変質なのではないかと僕には思えます。そしてその違いは、たとえば「東京は夜の7時」と「東京の合唱」のふたつの「東京」のあいだにある差異でもあるのではないかと。

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