鳥籠の中から 雲つかめそうで
はかないふたり 目をこらしたまま
あさっての月を 待つほど遠のいて
自由の意味 思い出せないまま
手のひらほどの 宇宙さえもてあます
「鳥籠の宇宙」作詞 中谷美紀
中谷美紀という存在には、ある不思議なバランスが感じられる。いや、これはむしろアンバランスと呼ぶべきなのかもしれない。正統的な美少女の流れを組む、人気女優でありCMタレントである中谷美紀と、坂本龍一プロデュースというアーティスティックな側面と、ヒットチャートにシングルを送り込めるポピュラリティを併せ持ったシンガーである中谷美紀という2つのアイデンティティは、実のところ相矛盾するとさえいっていい、まさに中谷美紀という存在以外には交差点を見出せないものなのではないか。女優でレコードを出す人は大勢いるし、ミュージシャンから俳優業に進出する者も珍しくはない。けれども、彼女の場合は、そうしたこととはどこか次元が異なっているような気がするのだ。
「(自分が何をしたらいいのか)すごく悩んだ時期はありましたね。何をやったらいいのか分かんないという意味では。ただ自分が普通のOLにはなれないことだけは分かっていた(笑)んですけど、じゃあそれ以外に何をしたらいいのかっていうことは、分からないことがありました」
あけすけといってもいいような屈託のない口調で、自らの過去を振り返ってみせる。彼女は十代半ばぐらいからいわゆる芸能界に身を投じたというから、この時期はまだずいぶんと幼なかったことになる。しかし、この時すでに彼女は、自分自身と、ごく一般の社会というものがあいそぐわないものであることを、敏感に感じとっていた。それは、彼女ほどの美貌ならばきっとそうなのだろう、といったようなこととは、もちろん別の問題である。なぜなら彼女の齟齬感は、モデルやタレントの仕事を始めてから、なお一層強くなっていったのだから。そして彼女は、ある時ついに外界からの音という音を煩わしいものと感じるようにさえなってしまう。
「十六ぐらいの時ですかね。こういう仕事は少しずつ始めていたので。全部の音が……我慢できなくなってしまったんです。他人から話しかけられるのも嫌だったし、電話が鳴るのも嫌だったし、普通の生活雑音も嫌だったし、街の雑踏の音も嫌だったし。(耳から入ってくるものが)全部嫌で、耳栓を持ち歩いていた。最近になって思いだしたんですけど、耳栓をいつも鞄の中に持ち歩いていたんです。喫茶店に入って本を読むのが好きだったんですけど。あの時はコーヒー飲めたのかな……そうそう、あの頃はコーヒーが好きだったんですけど、でも喫茶店で隣の人の話声とかBGMとかが流れてくるのとかがすごく嫌で、耳栓を持ち歩いてコーヒーを呑みながら本を読んでたんです。何だったんでしょうね。今思うと笑っちゃうんですけど。耳栓持ち歩いてたっていうのが何だかすごい笑っちゃう。可笑しいですよね」
もちろん音楽を聴く気になどなれなかった。あらためて考えてみるまでもなく、これはかなり危険な状態といっていいだろう。16才の中谷美紀をこのようなところまで追い込んだのが何だったのか、それはしかし、ここでは問うことのできない事柄である。言えることはただ、それがよくある思春期(そう、この頃彼女はまさに“思春期”だったのだ)の悩みといったものを越えた、中谷美紀という人間の根本に関わる問題だったのだ、ということだ。言い換えればそれは、一種の通過儀礼のようなものだったのかもしれない。彼女が「中谷美紀」になるためには、外界からの触手を遮断する耳栓が必要な状態を一度、くぐりぬける必要があったのだ。
「そうですね。本当に頼むから誰も話しかけないでっていう感じだったんです。あの頃はよく仕事も仮病使って休んでました。受け身な仕事だったので、自分からこうしたいと言ったところで、どうしようもないなっていうか。何をやったって一緒だと思っていたので。仕事を辞めようとも思っていたし。どうせ自分が意見を述べたところで、物事はそんなに変わらないんだって思ってしまっていたんです。いい加減投げやりで、しょっちゅう仮病をつかってまして。“頭が痛いから行きません”って言うと、本当に頭が痛くなったりとか。“お腹が痛いんです”って言うと、仮病のつもりが本当にそうなってしまう……」
かなりの問題児だったわけだ。しかしこれが更に先に進むと、ことによれば彼女は戻ってこられなくなってしまったかもしれないのだ。幸いなことに、そうはならなかった。そして、そんな彼女を救い出したのは、意外にも3枚のレコードだった。
「ブライアン・イーノとビル・エヴァンスと坂本龍一さん。その頃、ある人に“音がないよりも静かな音があるよ”って薦められたんです。それからはCDもそれまで持っていたものを全部捨ててしまって、3枚だけ家に置いてあった。貪るように、というのではないですけど、繰り返しそれだけを聴いてました。その3枚しか聴けなかったんですよ。あとは一切聴かなかったですね。最近これも気付いたことなんですけど、なぜイーノの曲なら聴けたのかなっていうと、イーノの曲を小さい音で流すことによって、他のいらない音がシャットアウト出来たんだなって」
そこから続く彼女との会話が、僕にとっては非常に興味深いものだったので、以下に再現してみる。
──3人の音楽を繰り返し聴くという行為から、ふたたび外側に戻っていったというか、コミュニケーションの世界に戻っていったというのはあるのですか?
「かもしれませんね。ある程度のうるさい音は平気になりましたもんね、今では。不思議ですね」
──でもそんな過去をもっている人が今では歌をうたってるっていうのも不思議ですね。
「だから私、何やってるんだろうって感じなんですけど(笑)。ギターの音とか嫌いでしたからね。ドラムの音とかも」
──うるさいっていう感じなんですか?
「うるさいですね」
──その時に、まあ言っちゃえば中谷さんを救ってくれた音楽の作り手のうち、坂本さんとイーノの2人と出会うことができた。
「不思議ですよね。それも怖いんですよね。そういう一番神様みたいな人達に、こんなに若くして会ってしまったら、あとは何を目標に生きていけばいいんだろうっていう。そういう目標の喪失感っていうのも感じますけども。逆に今」
──歌うということについてはどうだったんですか? たとえば単純に鼻歌とかを口ずさんだりする方でしたか?
「歌わないですね。歌はそんなに好きじゃないっていうか。最近は好きになったんですけど、上手くないと思ってるので。人に聴かせるような歌は自分には歌えないと思っていて。歌自体にそんなに興味はないんですよ、もともと。ただ坂本さんと仕事をさせていただく時に、私ができることといったら歌うことしかないじゃないですか(笑)」
──たとえば歌手の人とかが、子供の頃から歌うのが好きだったんですとか、そういうようなことはさっぱり無いわけですね。
「ないですね。はい。楽しいですけど。ライブをやって、歌うのはいいなってすごく思えるようになりましたけど」
──じゃあ坂本さんでなく、誰か別の人がプロデュースすることになったら……
「辞めます。あ、イーノさんだったら別ですよ(笑)」
最後ははぐらかされてしまったが、辞めます、といった時の彼女の口調は何ともさっぱりとしていた。奇妙に思えるかもしれないが、この発言を聞いて、僕は彼女に対してとても好感を持ったのだ。音のない世界へと逃げ込んだ自分を、音のある世界へと連れ戻してくれた、恩寵のような音楽と、それを作り出した音楽家のために、彼女は自分の「声」を奉じているのだ。極言すれば、中谷美紀が歌うのは、ただそれのみが理由なのである。なんて素敵なことだろうか。
坂本龍一とビル・エヴァンスとブライアン・イーノ。彼らのすべての曲が、というわけではないけれども、その中のある部分には確かに共通点がある。音楽だけでなく、それが流れ漂う空間のありさまを大切にしていることだ。彼らが紡ぎ出す柔らかい繭のような音に包まれて、彼女ははじめて癒されることが出来たのだろう。
そして……坂本龍一と出会い、彼の手になる曲を歌うことになった中谷美紀は、かつて自分が癒されたように、彼女の歌声を聴く者を、時には優しくいたわり、時には力づけている。歌うことに執着がないと語っていた彼女だが、しかし裏に返せば、かくのごとき過去を持った中谷美紀という存在にとって、歌い始めたということは、やはり決定的な出来事だったのではないか。だからこそ、彼女はあのように可憐な歌声を、外界へと向けて奏でていくことができるのだ。デビュー曲『MIND CIRCUS』を聴いた時から感じていたことだが、彼女の歌声には、どこか「聖歌」のような雰囲気がある。透き通ったハイトーンと、言葉のひとつひとつが耳に心地よい美しい発音は、彼女自身がまだまだだという歌唱力以前に、シンガーとしての中谷美紀の魅力を表現して余りある。そしてやはり坂本の筆による新曲『いばらの冠』は、まさに「聖歌」のような曲なのである。
「『いばらの冠』が象徴するものっていうと、やっぱりキリストですよね。そういうことなんだろうけれども、それを通して自己犠牲みたいな、愛みたいなものを歌ってる曲だと思うんです。私の中で、何でもそうなんですけど、大事なものほど遠くに置いておきたいっていう気持ちが強くあって。たとえば坂本さんにしても本当はそうですし。家族とかにしてもそう。ちょうどそういうことを感じていたので、この曲はとてもしっくりときましたね」
『いばらの冠』とカップリングされた「鳥籠の宇宙」は、中谷美紀自身の作詞による曲である。冒頭にその一部を引用したが、この曲はひどく哀しい。その哀しさが16才の頃の彼女の自閉を想起させるなどといったら、いささか穿ちすぎといえるかもしれない。しかし、たぶん彼女は今でもなお、心の中に「音のしない部屋」を持っているのだ。それがおそらく、冒頭で述べた不思議な(アン)バランスを生み出しているのに違いない。
「仕事で香港に行った際に骨董屋さんで鳥籠を買ったんです。1920年代ぐらいの、わりと現代に近い骨董品で。嬉しくてじーっと見てたら、ふと鳥がこの中にいたらどう思うんだろうと思ったんです。しかもそれが私だったとしたら、どう思うんだろうって」
「遠い瞳をした ちいさな歌声(ささやき)」(「鳥籠の宇宙」)。「鳥籠」が「宇宙」でもあるとして、現在の彼女はその外側にいるのか、内側にいるのか? こんなことを書くと、ひょっとすると怒られてしまうのかもしれないが、僕には彼女がいつか、不意に歌うことをやめて、それだけでなく、僕たちの前から姿を消してしまうような気がしてならない。もちろんそれは彼女自身の意思によるものだ。彼女はふたたび「音のしない部屋」へと閉じこもってしまう……危うい想像だ。しかし、そんな不安さえ催させるほど、聴くほどに彼女の歌声は儚げな魅力を放っているのである。中谷美紀は、いったいいつまで、僕たちの耳を癒してくれるだろうか?
(初出:SWITCH)