COLUMN/ESSAY

2002年ドイツ三都物語

 ドイツを訪ねたのは7、8年ぶりのことになる。しかも過去の3度はすべてベルリンだけで、他の街には行けなかったのだが、今回はフランクフルト、ケルン、ベルリンの三都市を十日間余りで廻るという過密スケジュール(しかも事情によりベルリンには2回滞在した)、だがそれだけに期待以上に多くの旅の成果を上げることができた。
 最初の滞在先はフランクフルト。今回の旅の主たる目的のひとつだったサウンド・アートの展覧会"FREQUENCYS[Hz]"のオープニングを見るためだった。ずいぶん前に池田亮司から「音」を扱う美術展として決定的な意味を持つ催しになると聞いていたもので、更にあのカールステン・ニコライがキュレーションに関与しているとあっては見逃すわけにいかない。会場となったシュリン・クンスターレはフランクフルトの中心に幾つもある美術館のひとつ。出品アーティストの多くが元々はミュージシャンであるか、アートと音楽の双方で活動している人で、若い世代に焦点が絞られている点も特長と言えるだろう。
 出品作品を幾つか挙げると、パンソニックのミカ・ヴァイニオによる、時計の長針が進む音を極端に増幅した作品、ファーマーズ・マニュアルがプログラマーとしての技術を駆使して構築したインターネットを利用したインタラクティヴ・アート、池田亮司の完全暗転した狭い通路に数十秒ごとに一瞬だけサイン波と共にフラッシュが光るという、いかにも彼らしいシャープな美学に満ちた作品などが印象深かった。もっともユニークだったのは知る人ぞ知る地震派(?)電子音響の要注意人物、ウィーンのフランツ・ポマスルによる二つの展示で、どちらも視覚的要素は一切なく、聴覚と脳に悪影響を与えそうな超高周波と超低周波のみを「作品」として提示したもの。いわゆる「サウンド・アート」の一種の極限として、ひときわ異彩を放っていた。
 多くの招待者が集ったオープニング・パーティでは、カールステンと池田君のデュオ、サイクロによるデモンストレーション的な短い演奏を皮切りに、主催者の挨拶などを経てラッセル・ハズウェルのライヴが行われた。床にパワーブックを置き、本人も寝たままの演奏という破天荒なスタイルで、激しいノイズが会場を覆い尽くすにつれて、物凄い勢いで人々が部屋から退避していった(笑)のがなかなか面白かった。会期中にはカールステンの企画により、数多くのゲスト・ライヴが行われることになっており、その顔ぶれは驚くほどに豪華なものだが、残念ながら僕らはこの初日しか見ることができなかった。

 フランクフルトではもうひとつ重要な用件があった。既に老舗といっていい歴史を持ちながら、最近では「クリック」というコンセプトを前面に押し出した、極めてエネルギッシュなリリースによって新しいリスナーを獲得しているレーベル、フォース・インクのオフィスを訪問することだ。ミル・プラトー、フォース・トラックス、ポジション・クローム、リトルネルなど幾つもの系列レーベルを束ねるオーナー、アヒム・ゼパンスキーは、ジル・ドゥルーズやミシェル・フーコーに私淑する理論家肌の人物として知られており、メールでしかやりとりをしたことがない彼がどのような人であるのかも興味があった。
 レーベルのオフィスは何の変哲もないビルの一室だった。部屋の半分に事務的な作業を行うためのデスクが並んでおり、残り半分が最近始まったオンライン・ディストリビューションの商品を含む在庫スペースとなっていた。こちらの都合でアポイントの時間を変更したせいか、僕らが着いた時にアヒムは長い電話中で、かわりにスタッフの一人が迎えてくれた。レーベルはアヒムを含め6名ほどのスタッフで運営されているという。現在のリリース・ペースとその点数からすると、けっして十分な人数ではないように思えるが、にもかかわらずオフィスの雰囲気に多忙さを感じさせるものはなく、どちらかといえばのんびりとした空気が漂っていた。これはドイツの他のレーベルの人々と会った時にも感じたことだが、拡大志向と利益追求に走るか、でなければ端っから個人の趣味的な領分に終始してしまいがちな日本のレーベル事情に比べると、ドイツではビジネス的側面とパーソナルな要素とのバランスが非常に上手くいっているように思えた。羨ましいことだ。
 さて、アヒム・ゼパンスキーは、こちらが勝手に抱いていた「学究肌の理知的な人物」というイメージをなかば覆す程の、ヴァイタリティに溢れた痛快なオッサン(笑)であった。彼は昨年の夏に、永年の夢だったレーベル・フィロソフィーをまとめた本を執筆し、それは今年中にもドイツで最大手の出版社より刊行されるのだというが、その反動で、何故かあのカイリー・ミノーグ(!)と80年代的なディスコ・ハウスに夢中になってしまったのだという。「クリック・テクノの次はハイパー・ディスコだ!」と真顔で断言する彼は、何人ものレーベル・アーティストに既にディスコ・スタイルの曲を作らせているという。コンセプチュアルなマイブーム型ともいうべき彼の采配で、あの「クリック」も演出されたのか……いささか複雑な気持ちになったのも事実だが、すこぶる魅力的な人物だったことだけは間違いない。

 ケルンは近年、ドイツのマスコミ、メディアの中心として知られているが、個人的には今回廻った三都市の中で、もっとも住みやすそうな、住んでみたい街だと思えた。なんといってもケルンにはA-MUSIKがある。レコード店であり、レーベルであり、そしてあのマウス・オン・マーズの活動拠点としても知られる、この小さなショップ兼オフィスは、以前から一度は訪ねてみたかった場所だった。
 閑静な住宅街の中、古ぼけたアパートの街路に面した一階に、A-MUSIKはあった。扱っているのはエクスペリメンタル、アバンギャルド、エレクトロニカ全般だが、その品揃えには正直、瞠目させられた。東京のその手のレコード店の優に数店分はある。かといって雑然とした感じは微塵もなく、店の奥にはソファが置かれてあったりして、居心地の良いムードが漂っている。僕らの雑誌FADERがさりげなく並べてあったのは嬉しかった。
 店の裏側がオフィスになっていて、通信販売やレーベルの業務が行われている。MOMのレーベルであるソニグの本部もここにある。A-MUSIKを運営しているのは、フランク・ドマートとゲオルグ・オジク。実は彼らはフランクフルトの"FREQUENCYS"展のアフター・パーティーでDJをやっていて、その時に挨拶だけは済ませていた。ソニグを統括しているのがフランクで、店はゲオルグが仕切っている。二人ともヒゲが印象的な、実に柔和な雰囲気の人物だが、何を隠そうケルンの電子音響〜ノイズ系シーンの生き字引的な存在である。MOMやソニグの、あのユニーク極まる個性的な音楽性は、彼らが背後から支えていることにも因るのだろう。
 ヤン・ヴェルナーは偶々ブタペストに行っていて会うことができなかったが、デュッセルドルフにあるMOMのスタジオを見学することができた。フランクが同行してくれた。ケルンから電車で十五分ほどでデュッセルドルフに着く。駅前にMOMのマネージャーのピーター(何度か来日している)が迎えに来ていて、レストランでアンディ・トマと合流。彼はノキアのCM用の曲と自宅の改装で忙しそうだった。アンディの案内でスタジオへ。工場を改造したのだという広大な建物の中に複数の施設が入っていて、MOMのツアーPAであるトポのスタジオも中にあった。それにしてもMOMのスタジオには驚かされた。彼らの知人である美術家のアトリエと合体していて、広大なスペースの中に、アンプやケーブル類とカンバスや絵具、コンピュータ類が混在している。とにかく、あんな不思議なスタジオは見たことがない。MOMのサウンドの秘密を垣間見たような気がした。

 ケルンにはA-MUSIKやソニグだけでなく、数多くのレーベルがある。やはりショップと一緒になっているコンパクトは、ミニマル・グルーヴィーなハウス/テクノの名門レーベルとして日本でも人気があるが、レーベルの社長であり、マイク・インク、ガス、オールなど複数の名前での音楽活動でも有名なヴォルフガング・ヴォイトと話すことができたのは収穫だった。日本ではなかば神秘化されている人物だが、実際に会ってみるとアヒム同様、ビジネスマン的な一面をしっかり持った人であり、なかなか表に姿を現さないのは単に忙しいからに過ぎないという。コンパクトは彼の下に複数のスタッフを抱えていて、最近、素敵なリリースが続き注目のトラウムを運営している人もコンパクトに勤めていた。
 昨年夏に日本に滞在していた際にヘッズのパーティでDJをしてもらったトムラブのトムの自宅も訪ねた。偶然、ヨーロッパでのツアーと個展のために居候していた町田良夫君と遭遇(彼はトムの別レーベルからアルバムを出している)。日本での呼称でいえば「音響派」以後のポップ・エクスペリメンタルを追求するトムの今後には期待できそうだ。期待と言えばシュタウブゴールドは、やはり新興レーベルでありながら、ヴラディスラヴ・ディレイやトゥ・ロココ・ロット、エックハルト・イーラーズ等を矢継ぎ早にリリースして話題を集めている。レーベル・オーナーのマーカス・デトマーは真面目な音楽好きという物腰で、これからもっとレーベルとしての主体性に力を入れていくと語ってくれた。ドイツの新しいレーベルでは珍しく、フリー・ミュージックを専門としているのがグロブ。新旧の要注意プレイヤーによる意欲的な演奏を続々と送り出している、誠実かつ野心的なレーベル・ポリシーは応援していきたい。いずれも自宅がオフィスを兼ねていて、パソコンとインターネット(と創意と熱意)があればレーベル運営は可能なのだということを今更ながらに思い知らされた気がした。
 そういえばケルンでは、MOMのサポート・アクトとして来日したことがあるF・X・ランドミッツとも再会した。彼のスタジオを見せてもらった後で、シュラムパイトツィガーことジョーと、彼のガールフレンドであり、トムラブからニオベ名義でリリースしているイヴォンヌと共にビアホールで乾杯。ドイツ料理を食べながら美味しいビールを何度もおかわりした。ドイツのビールは街によってかなり種類が異なるのだが、僕はケルンのビールが一番気に入った。

 ベルリンはこの数年でずいぶん変わったと聞いていたが、確かにポツダム広場の周囲などはソニー・センターやショッピング・モールが建設されて、かなり変化していた。折しもベルリン映画祭の最中で、向こうで会った人から何度か映画の話をされたり(だが『千と千尋』の名前は一度も出なかった)、見ず知らずの人から「日本の映画監督ですか?」と間違えて声を掛けられたり(笑)したが、残念ながら今回は映画は一本も見なかった。
 99年に行われた東京ドイツ文化センター主催のシンポジウムで一緒だったディートリッヒ・ディートリヒセン、メルセデス・ブンツと再会。ディートリヒセン氏はドイツでは非常に有名な批評家で、今回の旅でも何人もの話で名が挙がる程だったが("FREQUENCYS"のカタログにも寄稿している)、御本人はロバート・ワイアット似(?)の非常に気さくな方で、今年は音楽の歴史を「ポップ」という観点から捉え直した大著と、キッペンバーガーに関する2冊の本の執筆のために他の仕事はお休みにするのだと語っていた。ブンツ嬢はテクノロジーと音楽に関するDE-BUGという有力雑誌の編集スタッフであり、彼のBFでもある編集長と編集部員と一緒に食事をする。タデウスという編集部員が、なんと一部で話題のCITY CENTRE OFFICEのオーナーであることを知って大いに驚いた。
 ベルリンでもアート系の人々が多く住むという地域に、トゥ・ロココ・ロットのロバート・リポックを訪ねる。彼が同居している女性もDE-BUGのスタッフだという。インスタレーションや劇の音楽にも進出している最近の活動について話を聞いてから、整然とした自宅スタジオで写真を撮らせてもらう。今度会う時は日本で、ということになるだろう。自宅といえば、今回のベルリン滞在最大のトピックは、オヴァルことマーカス・ポップの新居にお邪魔したことだろう。およそマーカスのキャラには似つかわしくない(?)ことだが、なんと手製のケーキとドイツ料理を御馳走になる。彼は現在、オヴァルとしての活動をストップし、まったく新たな音楽スタイルへのシフト・チェンジを模索中だという。そんな過去への決別の思いからなのか、妙に物腰の柔らかい感じになっていて、こちらが戸惑ってしまった程だった。
 ベルリンでは更に、REAKTORなどで知られるネイティヴ・インストゥルメンツのメイト・ギャリックとも会い、同社のオフィスを見学させてもらった。彼らは多くのエレクトロニカ系ミュージシャンをスタッフに抱えており、即戦力の画期的なソフトを続々と送り出している。NIとは今後、一緒にある計画を進めていく予定。でも今はまだヒミツ。

 ベルリン滞在中のほぼ毎日、夜はE-WERKというクラブに通った。"TRANSMEDIALE"という大規模なアート・フェスティバルの関連イベントとして、連日非常に豪華な顔ぶれのライヴが行われていたからだ。E-WERKはその名の通り、発電所だった建物をクラブに改造したもので、昔、石野卓球がドイツでの本格的なDJデビューを果たしたのもここからだった。当時、僕は彼に随行していて場所を覚えていたのだが、このクラブはその後、一たん閉鎖されて、今回のフェスのため特別に再オープンしたのだという。
 ライヴを見ることができた主なアーティストは、AKUFEN、DEADBEAT、JETONE、POLE、KOMET、MONOLAKE、BETA BODEGA(HAMIJAMA、VOID、etc...)、SAFETY SCISSORS、TWERK、KID606、GOLD CHAINS、AGF/DELAY、JAN JELINEK、RECHENZENTRUM、LUOMOなど。これらはたった四日分であって、フェス自体は十一日間もあったのだから、どれほどすごいプログラムであったか分かるだろう。いずれも素晴らしい演奏だったが、中でも短波ラジオでリアルタイムのカットインを見せてくれたアクフェン(今後注目必至!)を始めとするカナダの新鋭エレクトロニカ勢と、ガールフレンドと思しきLAUBのAGF嬢と純白のペア・ルック(?)で登場して観客の度胆を抜き、LUOMOとしては極上のハウスでフロアを爆発させたヴラディスラヴ・ディレイにかなりのインパクトを受けた。日本でライヴをやったばかりのBETA BODEGAは、メンバーを変えてのセット。スティーヴン・カストロが自信をもって送り出す政治的ラップ・ユニットVOIDは、サウンドやスキルの面でも十二分に力を持っていると思えた。ともかく連日、これほどのメンツを安いチケット代で見られるとは、ドイツのリスナーは本当に恵まれている。われわれも頑張らなくては、と志を新たにさせられたのだった。
 というわけで、まさしく言葉通りの意味で「長いようで短かった」ドイツ旅行は、ざっとこのようなものであった。もちろん、ここに書き切れなかった出来事は数多くあり、それらはまた別の形でお知らせすることになるだろう。最後に、今回の旅の実質的なスポンサーであり、ほとんどの取材において、さまざまな便宜をはかっていただいた、東京とフランクフルトのドイツ文化センターに、心よりの感謝を述べておきたいと思う。今回のドイツ三都市巡りで得たものは、あまりにも大きい。僕はこれから、それを言葉だけではなく、実践において示していくつもりだ。

Last Update : 2003/09/18