COLUMN/ESSAY

「魔法の箱」の「音楽」

1。Laptop Orchestra

 それはある意味では「異様な」光景だった。長い会議用のテーブルがほとんどステージ幅ギリギリまで並べられ、十数台のパワーブックが置かれている。そして機械と同じ数だけの男たちが、それらを操っている。ある者は一心不乱にディスプレイに見入っており、ある者はタバコをくわえながら淡々とマウスを動かしている。何を話しているのか、隣合った者同志で会話を交わしている者たちもいる。
 それはしかし一方では、ある意味で「見慣れた」光景でもあった。ラップトップ・コンピューターがデスクの上に乗っていることなど、まったく珍しくないからだ。実際、見ようによっては、それはまるで、どこかの企業のプレゼンテーションの場のようにも見えた。だが、もちろんそうではない。そうであるにしては、あまりにも雰囲気が雑然としており、服装も年齢も人種もバラバラな男たちが所狭しと立ち並ぶ姿は、ほとんどアナーキーでさえあった。そして何よりも、その空間には耳を聾さんばかりのエレクトロ・ノイズが鳴り響いていたのである。
 2000年11月、表参道のレストラン・バーCAYで三日間に渡って催された電子音楽のフェスティバル「Buro30 : electronicaccident」での光景である。ビュロはパリを拠点とするオーガナイザーのグループで、テクノ以降のデジタル・ミュージックにおけるカッティング・エッジを模索する、数々の意欲的なイベントを手掛けてきた。その通算30回を記念して、東京で比較的大規模なフェスを行いたいというビュロ側の希望に、筆者が属するオフィスHEADZが応じる形で、このいささか特異な催しは計画され、実践された。
 出演したアーティストは、ビュロの中心メンバーでもあるディスコム、ポート・ラディウム、ウィーンのレーベルMEGOからピタとヘッカー、ドイツからカールステン・ニコライ、トマス・ブリンクマン、チックス・オン・スピード、そして日本からは池田亮司、竹村延和、メルツバウ。国際的な多方面からの、さまざまな協力によってようやく実現した、この種のジャンルにおいては極めて豪華と言えるラインナップだった。
 それぞれの演奏も非常に興味深いものだったが、このフェスティバルが一際ユニークであったのは、個々のライヴとは別に、「ラップトップ・オーケストラ」と名付けられた、即興的なセッションがプログラムに入っていたことだった。フランスのビュロでも何度か行われたという、この「オーケストラ」は、もともとはピタことピーター・レーバーグのアイデアによるもので、パワーブックを持っている者ならば誰でも参加する権利がある、インスタントなコンピューター・ミュージック・アンサンブルである。事前の打ち合わせなどはまったくないまま、一斉にラップトップから音を出してみるという試みは、当然ながら制御不能のカオスに陥る可能性も高く、普通の意味で「音楽的」にどのような結果が得られるのかもまったく未知数であるわけだが、そんな不確実性も含めて面白いと思い、筆者はこのアイデアを採用した。
 当初は、観客にも自由に参加してもらうべく事前に告知することも考えていたのだが、あまりにもステージ・セッティングが混乱する危険性があるということで、フェスの正式な出演者以外には、諸々の事情で単独のライヴ出演を依頼するには至らなかった、何人かのミュージシャンに声をかけるに留めた(が、当日になって急遽出演が決まった人もいた)。その結果、各日行われた、この「ラップトップ・オーケストラ」には、半野喜弘、クリストフ・シャルル、アタウ・タナカ、i.d、*0、カンガルー・パウ、モーリー・ロバートソンといった、そうそうたる方々の参加を得ることになったのだった。
 冒頭の「光景」は、もちろんその「ラップトップ・オーケストラ」の様子である。それは確かに「異様な」光景であり、と同時に「見慣れた」光景でもあった。おそらく観客の多くは、サウンド以前に、その「光景」そのものに強いインパクトを受けたことだろう。確かに考えてみれば、それは音楽のコンサートとしては、かなり不思議なものであったには違いない。だが、実のところ、その「光景」はけっして、この時振って湧いたように突然変異的に現出したわけではなかった。「ラップトップ・オーケストラ」などという試みが可能になるような状況は、すでにもっと前から準備されていたのである。

2。パワーブックという魔法の箱

 マッキントッシュのパワーブックが音楽制作やライヴ・パフォーマンスに頻繁に用いられるようになったのは、G3シリーズの発売以降のことだと思われる。それ以前のマシンのスペックでは、音のような大きなデータを問題なく扱うことはむつかしかった。また、各種の音楽ツールも、以前はアウトボード類が中心であったのに対し、優秀で強力なソフトウェアが次々と登場するに及び、スペースを取らないラップトップにシフトする者が増えてきた。90年代後半に急速に進行した、ソフト&ハード双方の矢継ぎ早の進化によって、こうした事態が生じたのだと考えられる。
 筆者にとって、パワーブックG3と音楽との関わりは、何と言ってもドイツのオヴァルことマーカス・ポップの存在を抜きにしては語れない。ラップトップを他の機材と併用するミュージシャンもいまだ多かった中で、彼はもっとも早い時期に、パワーブックだけを使って「音楽」することを選択し実践した、いわゆる「ラップトップ・アーティスト」の草分け的存在のひとりだった。
 オヴァルの初来日は先の「Buro30」から遡ること3年前、1997年のことだ。やはり初めて日本の土を踏んだマウス・オン・マースと一緒で、実は筆者とHEADZにとっても、これが最初の本格的なコンサート・プロデュースだった。会場は当時渋谷にあったXPというレストランだったのだが、急ごしらえのステージに、ドイツから持ち込まれた膨大なエレクトロニクス類がセッティングされた様子は、奇妙な迫力があった。この時点では、まだパワーブックG3はこの世に存在していない。したがってオヴァルの機材も、デスクトップ型のマッキントッシュだった。だが、翌年の10月に青山スパイラル・ホールで、ドイツ文化センターとワコール・アートセンターの主催により筆者がプロデュースした二日間のフェスティバル「EXPERIMENTAL EXPRESS」で2度目にオヴァルが来日した際(共演:カールステン・ニコライ、ポーター・リックス、池田亮司)には、すでにパワーブックG3だけだったと記憶している。
 その後、マーカス・ポップは、エレクトロニカ・シーンきっての論客ともいうべき独特のキャラクターを露わにしていくことになるのだが、彼の理論の核心のひとつは、テクノ以後の音楽というものは、テクノロジーによる可能性とリミテーションの双方を同時に抱え持つことになる、という点にある。確かにパワーブックG3は、それ以前と較べて非常に多くのことを可能にした。だが、当然ながらそれは100%完全なものではなく、常に改良と更なる進化へのベクトルを備えている。というより実際には、そのプロセスはけっして終わることはない。新たな技術的達成の先には、必然的に新たな到達目標がほの見えてくることになるからだ。したがって、むしろそうした種々のテクノロジカルな可能性と限界設定との相克の狭間に、音楽家のクリエイティヴィティが生じるのだ、とマーカス・ポップは考える。この点で、彼は極めてクールなリアリストである。彼はパワーブックだけで全て事足りると考えたわけでも、外部機器との組み合わせによって個別的なコンビニエンスを追求しようとするのでもなく、ある意志と戦略をもって、パワーブックだけで「音楽」することを選んだのである。そしてこのような態度は、この時点では極めて挑戦的なものだった(もっとも、現時点では最新である2001年の来日時のコンサートでは、なんとオヴァルはシンセサイザーを併用していた。ここには最新アルバム『オヴァルコマース』のサウンドが要求する実際的な理由のみならず、あっという間に世界中に蔓延した「ラップトップ・ミュージック」への反感?があったのではないかと推測される)。
 ラップトップ・オンリーという哲学(?)において、オヴァルとともに最重要と言える存在が、先にも名を挙げたメゴである。メゴはレコード・レーベルだが、いわゆる通常のそれとはやや性格が違い、ほとんどの所属アーティストが、一種の共同体的な強い親和性と協力関係で結ばれている。そんなメゴのレーベル・ポリシーのひとつは、僅かな例外を除き、すべてのアーティストがパワーブックだけしかレコーディングにもライヴにも用いない、ということである。彼らいわく「パワーブックだけで充分だし、誰もその可能性を掘り尽くしてはいない」。ピタによる「ラップトップ・オーケストラ」というアイデアも、ここから来ている。理論家肌のマーカス・ポップに対して、メゴのメンバーはもっとミュージシャン的な、ほとんどパンク的と呼んで差し支えないアティチュードを持っており、かつてのパンク・バンドの連中が、ほとんど弾けない楽器を抱えて、衝動と感情だけを頼りに演奏をやってのけたように、いわばフィジカルにコンピューターを使い倒して、誰も聴いたことがないようなラジカルなサウンドを作り出そうとする(とはいっても、それがコンピューターである以上、現実に起こっていることはあくまでも「演算」である。この点を取り違えてはならない)。メゴは1999年1月、インターコミュニケーション・センターの「MEGO@ICC」で大挙して来日(それはほとんど「来襲」と呼ぶ方がふさわしいものだった)したが、この時も来日メンバーが持ってきたのはパワーブックのみだった。
 アップルからパワーブックG3が発売されたのは97年12月のことである。それから1年余りの内に、オヴァルやメゴのような「ラップトップ・アーティスト」が出現した。そして、それから「ラップトップ・オーケストラ」の「光景」までは、たった2年ほどのことである。その間に、パワーブックG3のスペックは何度もアップグレイドされた。また、99年の9月にはG4が発表され、2001年1月には遂にパワーブックG4が登場した。現在では、多くの「ラップトップ・アーティスト」がG4に乗り換えている。
 あらためて驚くべきは、やはりこの変化の途方もないスピードだろう。そしてそのスピードは今もまったく衰える兆しはない。そこで問うてみたいのは、こうした「変化」によって、一体「音楽」の何が変わり、何が変わらなかったのか、という問題である。

3。メルツバウの変貌?

 いわゆる「ラップトップ・アーティスト」の中にも、以前は別のエレクトロニクスや楽器を用いていたのが、さまざまな理由によってパワーブックに移行した者と、そもそも最初からパワーブックしか持っておらず、それなくしてはミュージシャンになることさえありえなかったような、「音楽」することとラップトップとが完全に結びついているタイプの、より若いアーティストたちがいる。ここで取り上げてみたいのは、前者ではあるが、かなり特殊なケースと言えるだろう、メルツバウのケースである。
 メルツバウこと秋田昌美は、ノイズ・ミュージックのパイオニア的存在として、20年以上に渡って音楽活動を行ってきた。彼は長い間、さまざまなジャンク・エレクトロニクスや自作の電子機器を使って、とてつもなくハーシュでラウドなノイズを産み出していた。そんな彼が90年代末、パワーブックG3を入手して音楽制作を始めたというニュースが流れた時には、誰もが耳を疑ったものである。
 実はここでもメゴが重要な役割を果たしていた。ピタやラッセル・ハズウェルなど、メゴのアーティストの多くは以前からメルツバウの大ファンであることを公言しており(「MEGO@ICC」にも秋田はゲスト出演していた)、特にハズウェルは何度かコラボレーションも果たしている。彼らとの親交の中で、秋田がラップトップに興味を持ち、やがて以前の機材からのシフト・チェンジに踏み切ったということのようである。
 しかし、とはいえ長年、アナログ機材で、誰も真似ができないような独創的なノイズ・サウンドを作ってきたメルツバウが、これほどあっさり(本人にとっては、そうではなかったかもしれないが)パワーブックに乗り換えたということは、繰り返すが、相当なショックを巻き起こした。そして当然、次に生じてきたのは、まったく異なる機材を使用することで、メルツバウの音楽もまた不可逆的に変化してしまうのではないかという不安の声だった。「不安」とはいささか訝しい言葉だが、少なくともある時期までノイズ・ファンの多くは、コンピューターによる音楽制作に対して、実際かなりの距離感を抱いていた。しかも、メルツバウの唯一無二といっていい音作りは、秋田が所有するジャンク・エレクトロニクスやヴィンテージ・アナログ・シンセと、切っても切れないものだと信じられていたし、突然のラップトップ宣言までは、そこに疑いを差し入れる必要はまったくなかったのだから、その「不安」も無理からぬものがあったと言うべきだろう。もちろん、その一方では、一体、あの秋田昌美がパワーブックで何をやってくれるのか、という「期待」があったのも事実である。
 では、パワーブック導入後のメルツバウは、以前とは変わってしまったのかといえば、答えはイエスでありノーでもある。旧来の機材とパワーブックが併用されている作品と、パワーブックのみで作られているものとがあるが、いずれにしても、先の「不安」が的中してしまったと感じたファンは、ほとんどいなかったのではないかと思われる。パワー、エネルギー、テンション、どこを取っても、メルツバウはやはりメルツバウであった。だが、よく聴いてみるならば、サンプリングの巧妙極まる使い方や、明らかにアナログ機材では不可能な曲の構成、より多様になった音色など、新しいメルツバウの姿もまた、そこにははっきりと刻みつけられていた。
 ファンの「不安」は杞憂に終わり、「期待」はかなえられつつある。ところで、ここで考えてみるべきなのは、この「不安」と「期待」とは何であったのか?ということである。かつて秋田がEMSシンセを購入した時には、このような過剰な反応が起こることはなかった。明らかにラップトップ・コンピューターというテクノロジー自体に、何らかの大がかりな「変化」を予感させてしまうものがあり、それがメルツバウの場合には、ひときわソリッドに出てきたのだと考えられる。
 おそらく、パワーブック導入によってもメルツバウのアイデンティティは揺らぐことはなかったということも、いや、やはり根本的に何かが変わったのだ、ということも、一定の真実を含みつつ、完全には正しくない。「音楽」することにおいて(いや、ほんとうは「音楽」には限らないが)、人間と楽器=テクノロジーとの関係性は、常に複雑なダイナミズムを有しているわけだが、この「魔法の箱」の場合、それはより魅力的なパラドックスに充ち満ちている。それは「音楽」という概念そのものをドラスティックに変容させる。いや「音楽」は、そのようなことで変わりなどしない。いや、そうではなく‥‥‥‥

4。未来は刻々とやってくる

 2003年11月、アップルは新しいiBookを発表した。搭載されているのはG3だが、もはやその機能は98年にマーカス・ポップが抱えてきたパワーブックG3とは比べものにならない。G4を搭載した、従来のパワーブックG4とは別のまったく新しいラップトップの登場も噂が絶えない。
 一口に「ラップトップ・ミュージック」といっても、今やその形態は実にヴァラエティに富んでいる。その中にはキッド606やリチャード・デヴァインのように、あっという間にスターダムを駆け上がった者もいれば、ファーマーズ・マニュアルや「ロウアー・ケース・サウンド」(註:主に人間の可聴域の限界に近い周波数の音を緻密に構成して作られる電子音楽のこと)のアーティストのように、ソフトウェアが切り拓く未知の領域へと深く潜り込んでいこうとする者たちもいる。そもそも単に制作やライヴ演奏用のツールとしてだけならば、現在のほとんどあらゆる音楽が「ラップトップ・ミュージック」に属してしまうのだ。コンサートにおいて、ステージ上にパワーブックが並んでいる「光景」も、今では「見慣れた」ものとなった。むしろラップトップがそこにない場合の方が「異様」に思えることもある。ラップトップ・コンピューターを使用しているかどうかという線引きが、何事かを語り得た時期は、完全に過去のものとなったと言ってよい。
 「ラップトップ・ミュージック」などというカテゴリーは消滅するだろう。それは間違いない。しかし、たった何年か前に起こった、「音楽」と「魔法の箱」との出会いが胚胎したポテンシャルは、けっして消尽してはいない。あの「ラップトップ・オーケストラ」を眼前にした時の、まぎれもない興奮を、ふたたび感じることがあるとしたら、それはいつのことで、そこには果たして、どのような「光景」が拡がっているのだろうか?‥‥‥もちろん、それはわからない。だが、それはひょっとすると明日のことかもしれないという、何の根拠もない予測と期待とが、ほとんどリアルに感じられてしまうということも、また事実なのである。

(初出は『スイッチ』増刊。2002年11月執筆)

Last Update : 2003/09/09