INTERVIEW/CONVERSATION

大友良英ファースト・インタビュー

注記(2003年10月20日)
 以下のインタビューは、僕が大友良英氏と、はじめてお目にかかる機会となったものである。実に十年も前のことだ。時の流れるのは速いものである。リード部分に読まれるとおり、雑誌の特集の題目は「ロック」だったのだが、当時是非とも一度会って話を聞きたかった大友氏を、無理矢理(!)企画に紛れ込ませたのだった。ちなみに同特集に僕は、Rock In Opposition、いわゆるレコメン系を総覧する長い記事も執筆している。こちらも単行本には未収録なので、機会を見て採録したいと思っている。
 ちょうどつい先だって、大友氏のファースト・ソロ作で、インタビュー内でも言及されているアルバム『We Insist?』が、香港のノイズ・アジア(サウンド・ファクトリーの後身)からリイシューされたということもあり、記念(?)として以下に採録公開することにした。あらためて読み直してみると、十年という時間のあいだに変化したことと、まったく変わっていないことが、インタビュアーにもインタビューイにも両方あることが分かり、なかなか興味深いのではないかと思う。また、11月19日(水)アップリンク・ファクトリーでの大友氏をゲストに迎えての「UNKNOWNMIX RETURNS VOL.2 meets Otomo Yoshihide」のサブテキストとしても参考にしていただけたらと思う。尚、採録を担当された藪崎今日子さんに感謝します。(佐々木)

●大友良英インタヴュー サンプリング・ウィルス計画

 大友良英氏の演奏を一度でも聴いたことのある者なら、彼がロックの特集に登場することに、少なからぬ違和感を抱くことだろう。それは百も承知である。ロックはもとより、現在の音楽ジャーナリズムには、彼がつくり出すサウンドを形容する言葉は存在していない。ターンテーブルと(多くは改造された)ギターを武器に、形式的にも、空間的にも、正に破格と言うべき活動を精力的に展開している大友氏を、ひとつの枠に閉じ込めることは完全に不可能である。だが、まさしくそれゆえにこそ、私は編集部を口説き落として彼のインタヴューを掲載させてもらうことにしたのだ。
 「ロック」という言葉=ジャンル=概念が、現在いったいどのような形で機能しているのか、それは本特集でも多少は明らかになっているかと思う。だが、正直に言って私には、今や「ロック」とはある種の人々にとってのプレテクストとしてしか存在していないのではないかと思われてならない。しかし、にもかかわらず、この頑強な言葉=ジャンル=概念は今なお流通し続けているし、時には価値判断の護符として用いられたりもする。だとしたら、いっそ「ロックなるもの」を極端に拡張し、自らを持ち堪えられなくなるまでパラフレーズしてゆくことによって、逆説的にその(無)意味を露わにしてはどうか? いわばロックを自壊に導くための「テロリスト」として、大友氏ほど適任の人物はいないように私には思える。
 トニー・バック(Dr.)のグループ「ペリル」のメンバーとしての、オーストラリア・ツアーから戻ったばかりの大友氏は、ソロ作『We Insist?』と、自ら率いるGROUND-ZEROのファースト・アルバムを立て続けに発表したばかりであり、自分の音楽の過去、現在、未来を熱心に語ってくれた。特に最近、ミクスチャー、ボーダーレス等といったレッテルを貼られることが多くなったという。なるほど確かに彼は豪州のミュージシャンと共演し、香港のレーベルからソロ・アルバムを出し、欧米の「地下音楽(アンダーグラウンド」シーンとも様々な形で関係を結んでいる。だが、それは真の意味でオリジナルなサウンドを志向する音楽家にとっては、ごく自然な行為なのだという合意から、インタヴューは始まった。

――最近、音楽ジャーナリズムでもボーダーレス、ミクスチュアといった事がよく言われていますが、「ボーダーレス」という制度化された言葉が蔓延しているという感覚が非常に強くあるんです。

大友:ある。僕以外にも海外でやっている人はいるにもかかわらず、たまたま海外から帰ってきたという記事が載ると、「ボーダーレスの大友」って言っちゃうんだよね。そんなつもりはないから、担がれたくないんだけどね。ボーダーレスという言葉もほんとに落ちたよね。

――日本は何でも商標になっちゃいますよね。

大友:日本の場合は経済というか企業の方がよっぽどあつかましく、がめつく、先へいっちゃっているんだよ、ボーダーレスにしても。とっくに企業はやっていた上で、その企業のやってきたことにボーダーレスという名前を付けて文化に当てはめるという。逆だよね。例えば音楽にしても歌謡曲の方がよっぽどアジアとの交流は盛んだしね。それは交流と言っていいかどうかわからないけど、侵略とも言えるんだけど。
 その構造は、戦時中の日本と全然変わらないと思うよ。少し話がそれるけど、以前日本の戦時下の音楽統制というのを調べたことがあってね。その時に日本の戦時中はどうやって音楽が統制されたのか調べていけばいくほど、軍部が統制したというよりも、かってに音楽家たちが自己規制をしていくという構図なんだよね。そうしないと命に危険があったというのもあるけど、むしろ自ら進んでどんどんやっていくわけ。それであとからつっ突かれると、いや、これは上の命令だから、って。でもその心理状況は今も全く同じだと思うよ。俺はできないからとかさ。例えばラジオで言えば、ちょっとこの曲はかけられないからとか。

――自己規制の方がむしろ多いでしょうね。

大友:「こういうのはかけられないから」って、「じゃ、誰がだめって言うの」と言うと、「上が」と言うけど、上はいやしないんだよ。自己規制なんだよね、全部。

――枠組みがないと何もできないという、割と日本的な感じがしますね。

大友:するよね。だから人種差別もちょっとよその国と違う形になるんだと思うし。だからボーダーレスという言葉じゃないけど、枠組みを問題にせざるを得なくなってくるよね、僕にしても。

――ボーダーといった時、実際には身近なところで、例えば東京と大阪のボーダーとか、そういうものも設定できるはずなのに、そこには無関心で、海外に行くと突然越境したという取り上げられ方をするんですよね。

大友:それがそもそも間違ってて、そんなにボーダーを引きたいんなら杉並と吉祥寺の間にでもボーダーを引いて……。

――どこにでも実際に引けるはずだし、そういう所を越えることがある部分では大変困難だったりする時もあるわけですよね。

大友:だからボーダーレスと言っていること自体、ボーダーの存在を認めちゃっているというかさ、ボーダーがあった上でそうやるからカッコいいみたいな見せ方というのは、すごい危険だと思うね。それは音楽のジャンルについても言えると思うよ。ロックというボーダーを決めちゃったらば、おしまいだとは言わないけど、ロックというボーダーを決めた上で越えてみせるというのは、俺は大インチキだと思うけど。

――観念操作以外の何ものでもない。

大友:インチキも鮮やかにやったらショーになるから楽しいんだけど、そういう意味では僕は、ボーダーをつけて越えるというやり方は自分ではしてないつもり。

――多分最初から関係ないんだと思うんですよ。

大友:最初から関係ないと言うと、ちょっとウソがあるかもしれない。例えば子供の頃はボーダーをつくって音楽を聴いてきたと思う。ロックしかないと言ってみたり、フリージャズしかないと言ってみたりね。
 もし本当にボーダーがあるんだとしたら、自分の肉体の外側のボーダー。自分の中で物事をサンプリングしていく上でも、サンプリングというのは自分の外と自分の内のボーダーを越えることだと思うから、それでボーダーレスというんならおもしろいと思う。本当にボーダーレスにしたら死んじゃうことなのかもしれないけど、既に誰かが勝手に決めているボーダーを越えるというアイディアでの創作は、結果的にそうなることはあっても、自分ではそれを目標にしたくないな。自分と他人のボーダーとか、そういうのならまだわかるんだけど。

――音楽的なバックグラウンドといいますか、経歴を伺っていきたいんですけど、最初に持たれた楽器はギターだったんですか。

大友:いや、最初はね、楽器という点ではギターだけど、その前はテープレコーダー。ソニーの4チャンネルのオープンリール斜め型のやつが出ていて、それで何をしたかったかというと音楽を録音したんじゃなくて、それを切ったり貼ったり回転を変えたりして遊びたかったんでね。それは楽器だとは思ってなかった。

――工作とかそういうのに近いの?

大友:近い。なんでそういうことをしたいと思ったかというと、プログレッシヴロックとかを聴いていたからだと思うな。その時代は70年代の前半なんだけど、プログレが全盛の頃で、ピンクフロイド、キング・クリムゾンにしてもテープ操作で音をつくっているという感じがして、だから最初に僕が興味をもったのはテープレコーダーでしたね。

――テープではコラージュサウンドみたいなものをつくっていたんですか?

大友:そんなに上質なもんじゃないよ。録音して回転を変えたり、逆回転にしたりとか、切り繋いだりとかね。遊ぶのがおもしろくて。それでシンセサイザーもつくろうと思って工作したりしたけど、それは志半ばにして。あまり音が出なかったね。それこそミニムーグというのが出た頃で、高価でしょう。だからせめてあの外見を真似してつくって、中に発信機をいっぱい入れてフューンとやれば……全然シンセサイザーどころじゃないね、超原始的なオルガンをつくったって感じだけど、そういうのもやってた。中学時代には自分でラジオがつくれたりしたから、そっちから入っていったけど、ミキサーとかエンジニアの方にはいかなかったね。やっぱりそれはギターを持って人前に出てやるおもしろさを覚えちゃったせいもあるかもしれない。始めはジャズギターのコードを覚えて。高校の最初の時はアドリブとかとれないから、とりあえずコードを覚えたのかな、本を買ってきて……。
 なんと最初に見ちゃったジャズのライヴが阿部薫だったんだよね。でも全然わからなかった、正直言って。ただ、カッコよかったよね。汚いカッコしてさ。あ、こういうのカッコいいぞ、って。で、フリージャズに憧れました。
 東京に出てきた時は阿部薫さんは死んじゃっていて、フリージャズのエネルギーはずいぶん落ちてた時期だと思うんだ。おもしろいと思ったのは高柳昌行さんくらい。高柳さんは突出してすごかったと思うな。あとは僕はおもしろいと思わなかった。
 そうやってわからなくなっちゃっていた時に、『ノー・ニューヨーク』とかポップグループとかを聴いて、もう一回ロックっぽいものに引き戻された感じ。あ、こっちの方が全然エネルギーがあっていいやって。

――その大友さんの動き方はそのまま、例えばニューヨークで起きていたことと重なっているような気がしますね。

大友:そうだね、今にして思えば。

――ところでターンテーブルというものはどうして出てきたんですか?

大友:身の周りの音の出せるものは全て楽器にできたというんで、ターンテーブルもその一つだったんだよね。それでテープレコーダー、ターンテーブル、ギター、民族楽器とか、バケツから水から何でも使ったけど、それがどんどんターンテーブルに絞られてきたのはライヴをやり出してからだと思う。ライヴに便利なものに絞られていったんだ。コラージュの語法で、ジャズのようにアドリブしたかったしね。

――ターンテーブルが最後に残ったというのはどういうことだったんでしょうね。例えばヒップホップなんかを聴いてターンテーブルの可能性に目覚めたとか、そういうこととは全く違うように思えるんですけど。

大友:違うね。ダンスミュージックはそんなに聴いてなかったから。ただヒップホップの人たちがターンテーブルでこうやってるのは「わかるよ」って思ったんだよね。
 あとはクリスチャン・マークレー。僕はジョン・ゾーンのレコードで最初に聴いたんだけど、何台使っているかわからなかったけど、本当にすごいと思ったね。最終的にターンテーブルが残ったというのは、やり出した当時はほとんど即興でやっていたから、スピードが要求されたためだね。テープを使うより、スピード感が出るからね。まだサンプラーは高かったし。

――基本的にはライヴってアナログでしょう。だからアナログのコラージュができるのはターンテーブルだけなんですよね。

大友:そうだね。

――僕、最初に大友さんの演奏を見たのは三上寛さんのバックだったんです。

大友:ライヴハウスに出るようになって最初の頃だね。その頃はターンテーブルだけじゃなくてメタルとか持って、キーッとかやったりしてたよね。よく寛さんも俺を入れたよね。

――凄かったという印象があります。

大友:ムチャクチャやってただけだもんね。ずっと一人で閉じてやってたもんだから、人とどう共演していいかという切り口も技術もなかった。

――最初はコミュニケーションの仕方をだんだん探っていくみたいな。

大友:そうそう、だからテーマはその頃はコミュニケーションだったね。
 もうその時期になると、僕のやり方は普通のギターをやっている人よりも特殊だというのはさすがに気がついたから、この特殊なやり方で特殊じゃない人や、違う考えの人とも、どう共演していけるかというのが、80年代の僕のテーマだったと思う。それはいろんなやり方があるんだなって。だから三上寛さんにしても、かなり特殊なコミュニケーションができる人なんだよね。

――黒田京子さんのORTとか、広瀬淳二さんともデュオでアルバムを出してますよね。そういう形でいろいろ断片的に大友さんの名前があちこちに出てきて、ずっと記憶に残っていたんですね。そうした80年代の終わりから90年代の初めにかけての活動が、去年の『We Insist?』というアルバムでまとめられたという……。

大友:そうだね。80年代からつい最近までの活動というのは見た目には主にサポートワークになっちゃっていたと思うんだけど、僕の中ではサポートという意識じゃなくて、コミュニケーションだったんだと思う。一人でつくってきた自分の言語でどう会話できるか。

――翻訳するか。

大友:そうだね。そういう時期がずっと続いたかな。今は、じゃあ自分はこの言葉を使って何を言いたいのかという段階になってきて、それでやっとアルバムがつくれた。『We Insist?』はだから僕の全く最初の……実際の録音は『グラウンド・ゼロ』が先かな。でも、まあ、ほぼ同時期。だからその両方が最初に僕の言いたいこととしてつくったアルバムなんだけど、それまでは僕の言いたいことというより、僕のコミュニケーションの軌跡が断片的にいろんな人に触れてた。

――大友さん自身の中でも『We Insist?』で、一つ、結節点を迎えられたという感じですか?

大友:そうですね。『We Insist?』と『グラウンド・ゼロ』と両方をつくっていく上でかな。『グラウンド・ゼロ』は日本のスタジオで録って、『We Insist?』の方は香港のサウンド・ファクトリー・レーベルの依頼でこれまでの録音を集めて自宅でミックスした。

――日本の音楽業界を考えると、売れるものじゃなきゃだめだというシビアな見方をしているから、なかなかマイナーなミュージシャンを取り入れられないんだという見方がありますけど、実はそれは間違っていると思うんです。というのは、例えば『グラウンド・ゼロ』もそうでしょうが、海外からの評価が日本よりもずっと高いバンドと言うのは、今の日本にはたくさん増えていると思うんです。それで全世界的なマーケットで考えた時に、その人の作品を流通させることができれば、日本みたいに小さな国の中で売っているよりも余程成り立つんじゃないかと思うんですよ。だからメジャーなレーベルから出ている売れない歌手のCDを出すくらいだったら、そういう形の方が、多分資本主義的な観点に立っても利口なんじゃないかなと。

大友:香港のサウンド・ファクトリーの人間がそう言ってて、香港ははなから香港だけじゃ絶対成り立たないわけ。彼らは最初から輸出することしか考えていないんだよ。彼らの一番のターゲットは中国大陸だと思うんだけど、十億人いるから。日本のレーベルは全然そのことがわかっていなくて、セコいこと考えているんだよね。

――要するに状況が見えていないから錯覚しているんですよね。

大友:売れる、売れないという観点に立ってみても、売ろうとすれば売れるんだよね。

――売れると思いますね。
 聴く人がいるってことだと思うんです。制作費を回収できて、なおかつ次につなげていけるだけの……。

大友:それなりにレコード会社に利益があるやり方は可能だと思う。ただ日本の大手も海外の大手もそういう小回りは効かないだろうから、ある程度インディペンデントに近い形の会社が日本ではそれをやっていいと思うよ。日本のインディペンデントのレーベルも海外に売るというアイディアはあんまりないよね。それは言葉の問題も凄く大きいと思う。

――その意味でもジョン・ゾーンの動き方というのは一つありますよね。

大友:すごくいい指示だったと思う。

――日本でレーベルをつくって外に出していくという。

大友:日本だけで何枚売れるというのを考えなくてもやっていけるんだということだよね。例えばインディペンデントなアルバムの制作費だったら、何万枚も売らなくても制作費が回収できて、ちょっとした収入が得られるんだよね。三千枚、五千枚売れれば。そういうシステムづくりだよね。それが実は思想的にも深く関係あると思うんだけど、現実には資本主義構造の中でレコードを売っていくしかないわけだから、俺はそれを改革して革命しろとは言わない。そんな無駄なピストルを撃ってもしょうがない。それだったらおもしろい仕組みなりやり方なりルールをこっちがつくっちゃえばいいんだよね。そういう形でしかインディペンデントの活動は語れないと思う。

――先ほどから何度も名前が出てきているバンド/アルバム『グラウンド・ゼロ』の基本的なコンセプトを聞きたいんですけど、

大友:『グラウンド・ゼロ』は“爆心地”という名前をつけたとおり、本当にエネルギーの集中するような音をつくるというのが最初の目的で、その点は今も一貫してるかな。ドロドロしたカオスの中にいろんなものをぶち込んで新しいものをつくるみたいな。僕の中では一番ハードな音をつくるというイメージだね。
 一枚目に関して言えば、フリージャズもしくはフリーインプロヴィゼーション・ミュージックのやり口を僕の方法で示したアルバムだと思っている。そこは自分の中で消化しなきゃいけない部分だったから、ちゃんと踏まえた上じゃないと次にいけないという気持ちがあって。

――ある種のバンド形態というか、そういう形を使った実験という意味で、非常に強いインパクトを受けたんです。エネルギーと今おっしゃいましたけど、ジャンルの横断、混合のようなものを、技術的な器用さで表現するんじゃなくて、音そのものの厚みというかボリュームとして実現しているという感じがあって、音が塊として聞こえてくる……。

大友:そういうものにしたかったね、一作目は。
 とにかくもう、うるせえぞ、塊だぞ、という感じで、上からボーリングの玉が一億くらい落ちてくるぞ、というくらいのイメージかな。もっと音を詰め込みたいぐらい。ただ現実にはもっと詰め込むと本当に何もわからなくなっちゃうから、そのぎりぎりのところまで。

――二作目以降もあるわけですか。

大友:三作目は考えていないけど二作目は考えていて、二作目は僕の中でのサンプリングに対するコンセプトが表に出てくるかな。それを『グラウンド・ゼロ』のやり口で。一枚目もサンプリングは随所に使われているし、僕にとっての最も重要な語法なんだけれども、さらにサンプリングを前面に打ち出してエネルギー・ミュージックの中にぶち込む必然性みたいなもの、それはもうフリージャズに対する解釈じゃなくなってくると思う。

――それは録音を始めているんですか。

大友:今はまだ作曲の段階。大体のコンセプトはもう想像がついていて、「グラウンド・ゼロ」の中には僕と千野(秀一)さんと二人、サンプリングに関わるミュージシャンがいるから、二人のコンビネーションだね。俺、千野さんて本当に高く評価しているミュージシャンで、「グラウンド・ゼロ」は日本の中で僕が高く評価しているミュージシャンをただ集めたという人選なんだけど……。

――「グラウンド・ゼロ」と並行する形でいくつか別のプロジェクトもやっていらっしゃると思うんですが、その辺のことを伺いたいのですが。

大友:主なものだけ言うと、バンドに関しては「セルロイド・マシンガン」というのをやってて、それはエネルギー・ミュージックじゃないよね。もっとバンド自体がコラージュ色をもった、映画的なつくり方をするバンドにしようと思って。セリフとかストーリーとかも入ってくるような……。ラジオドラマみたいな体裁になるかもしれないし、映画の予告編のサントラみたいな形になるかもしれない。

――香港映画の……。

大友:そうそう。香港映画をバンドにしたら、というイメージでつくったものが一つ。あとはオーケストラでターンテーブルを二台使うように、バンドが二つあってそれを指揮していくという形のもの。実際今、バンドという形でやっているのは、「グラウンド・ゼロ」を含めて三つかな。もう一つ、僕の中で特異な比重を占めているのは、僕のソロのレコーディングワークなんだけど、それはオーストラリアの〈エクストリーム〉というレーベルから出せると思うんだけど。

――「ムスリムガウゼ」とか出している?

大友:そうそう。そこでね、声だけをサンプリングした作品を今録音してて、それはあらゆる声、それこそ映画とかテレビの声、会話の声、ささやく声でも歌う声でも、とにかく声だけで何か一つつくってみようと思っていて、「サンプリング・ウィルス発生前夜」という仮タイトルにしようと思ってる。これは今年から始めるサンプリング・ウィルス計画というのがあって、ライフワークになるかもしれない壮大なものなんですけど、それの最初の作品なんです、
 どういうアイディアかというと、一番シンプルなアイディアで言うと、例えば僕が天鼓さんに何かしゃべってもらったり歌ってもらったりして、録音するとしますよね。その声だけを使ってサンプリングしたもので僕が何かの作品をつくります。そして、その作品を誰かに送るわけです。例えばオーストラリアのトニー・バックと、アムステルダムに住んでいるニコラス・コリンズに送る。その、天鼓さんの声からつくった僕の作品だけを使って、また各々の作品をつくるわけ。そうして彼らはまた、一人ないし複数の人に自分のつくった作品を送るという、不幸の手紙に近いんだけど……。

――メイル・ミュージックですね。

大友:そう。メイル・ミュージックだけど、ルールはサンプリングと、送られてきたものだけを使うというので、種は、借りに今、天鼓さんの声と言ったんだけど、その種だけでどんどん、理屈で言えばただ一つのものが永遠に無限に広がっていく。

――第一発信者からX発信者までのものを全部聴いたら、それがどんどん変化していくプロセスがわかるわけですね。

大友:そうそう、そういうことがあったよという形でCD化したり、本にしたりね。

――ドキュメントになりますね。

大友:これがサンプリング・ウィルス計画の一番シンプルなアイディアなんですね。その他にもオーストラリアで出すアルバムに関して言えば、それもウィルスの種ということで、誰がそれをサンプリングしてもいいわけ。サンプリング・フリーということにして。それを使ってサンプリングした作品はできれば僕のところに送ってもらえれば……。
 サンプリングに関わるプロジェクトを今いろいろ考えていて。どういうことかというと、アンサンブルというのは同じ時間に同じ場所に集まってやらなきゃできないというのが常識だよね。それは本当にそうなんだけど、サンプリングや録音機材が何を可能にしてくれたかというと、音の保存と、それを違う場所に運ぶことを可能にしてくれて、それは聴くためだけじゃなくてサンプラーを生んだりもしたけど、アンサンブルのアイディアもどんどん変えて、同じ場所で同じ時間を共有しなくてもいいんじゃないかと。
 たとえば、僕がターンテーブルやテープレコーダーでやっている演奏はそもそも、僕が独断で指揮をして、他人の演奏をサンプリングして別な作品をつくってるけど、それを僕の独断じゃなくて、ルールに関しては僕が独断で決めさせてもらうけど、そのルールに従って、いったん僕の手を離れたらどうなるかわからないというウィルス状態にどんどん変化させていく。そういうプロジェクトをいろいろやっていこうと思ってて。全然お金にならないんだけどさ、これが。

――非常におもしろいですね。

大友:そうなんだよ。僕はこれを思いついた時にはもう、嬉しくてしようがないぐらい自分で盛り上がった。それだとね、会ったこともない人ともアンサンブルが可能だし、同じ時を共有しなくてもいい。

――それも一つのオルターナティヴなコミュニケーションですね。

大友:そうだよね、会話するのだけがコミュニケーションじゃないから。しかもコミュニケーションしていくだけじゃなくて、その中で作品ができていく。僕は作品化するのは全然否定はしてなくて、なんか作品というクソが残っていくというのはおもしろいと思っているんだよ。そういう跡が残っていくというのは、人間が生活していく証の一つでもあると思う。だから作品も残していくし、どんどん変化していくし、しかも音楽の場合、サンプリングという新しい技術でもって初めて、時と場を越えたコミュニケーションが可能になったし、しかも今安価で手に入るからね。サンプリングは別にデジタルにこだわってなくて、テープレコーダーを使ってもいいし、録音、再生できるものなら何でもいいんだよね。それでどんどん広げていくというプロジェクトを今考えていて、だけどこれは著作権法にも関わるものでもあるから、それを含めてサンプリング・ウィルス計画をいろいろ考えていて、本もつくれればと思っているんだけど、僕がやることは、今全部現行法に触れると思うんだよね、うるさいことを言っちゃうと。例えば毎日自分がやっているサンプリングの作業を日記で書くとして、下の欄にはちゃんとした法律家がどう法律に触れるかいちいち書いていくみたいな本でもおもしろいと思っているんだけど。

――著作権登録というのがありますよね。それを大友さんは拒否されたというか、しないことになさったという話を……。

大友:生涯そうするつもりもないけど、多分僕は著作権と真向からぶつかることになるんじゃないかな。

――サンプリングに関わる人は、多かれ少なかれ、そこの部分では何らかの対立があるはずですね。

大友:俺は著作権は否定はしてないのね。できてきた過程もよくわかっているし、あれが必要なこともわかっているんだよ。ただね、今著作権が僕の作業にとってどういう意味があるのかというと非常に疑問で、しかも著作権ができてきた意義はともかくとして、実際、どう使われているかというと、金が入るところにだけ入るようになっているなって。
 それを僕が改革する先頭に立とうと思ってはないけど、僕がやっていることは自分が望む望まないに拘わらず、著作権法にどうしても関わっちゃうね。今、僕がやっていることは全然儲かっていないから、著作権法を管理する側は相手にしないけど、仮にこれでつくった『We Insist?』で一億円も儲かったとしたら、向こうはなんか言い出すと思うよ。

――アメリカでは、ヒップホップのアーティストに対し訴訟が起きる例はありますよね。

大友:あるでしょう。俺は何が正しいか、わからないよ。でも自分のやりたい欲求はどうしても著作権法に触れちゃうから。
 これは今、オルターナティヴな活動をしていく人たち皆が、サンプリングに拘わらず、何らかの形で法律に触れざるをえないという問題とも無関係じゃないと思う。

――サンプリング・ウィルス計画というのは非常におもしろいですね。

大友:いいだろう? これはいいんだよ。

――スタートしてしまえば、あとはともかくひたすら動き続けるわけでしょう。

大友:理屈で言えばね。

――ある所で切って、例えば一枚のCDにアウトプットしたとしても、その音自体は制作過程でしかないわけですね。そのあともどんどん変化し続けるから、何か時限爆弾みたいなもので……。

大友:もっとおもしろいのはさ、本当にウィルスを仕込めて、変換後にはサンプリングした作品から火が出るとかさ、そんなことはできないけど、でも僕の中ではそういうイメージ。コンピュータ・ウィルスのイメージだよね。コンピュータ・ウィルスは実際にとんでもない悪いこともするかもしれないけど、アイディアとしてすっごくおもしろいんだよね。美しいとさえ思う、俺は。

(初出:『ユリイカ』1993.4月号 特集=ロック――身体を拡張する音響装置)

Last Update : 2003/10/21