REVIEW/COMMENT

レディオヘッド『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』

 バランスの取れたアルバムだ。端的に言って、ここには『OKコンピューター』の華麗な冒険も、『キッドA』の魅惑的な陰鬱も、『アムニージアック』の強度に満ちた倦怠も、それ自体としてはもはや存在してはいないが、それら過去の作品を艶やかに輝かせていた、複雑に縒り合わせられた音楽的エモーションと、やはり野心的と言っておくべきだろう方法的細部のすべてが、ある自然さ、おおらかさと共に、この14曲の内に溶け込んでいる。
 よくも悪くも、トム・ヨークというキャラクターの内面的な逡巡を、そのまま音へと反映させることで、バンドとしての個性を磨き上げてきたレディオヘッドは、他のミュージシャンならば偏向や破綻とさえ取られかねないような過剰さを、むしろ積極的に作品に封じ込めることで、今日の「ロック」において、例外的なポジションを確立した。そういう意味では、このアルバムは、バンドとしての成熟とも、スタイル上の平準化とも、事によったらトム・ヨークの人格的な変容としても、受け取られるのかもしれない。
 だが僕はトム・ヨークという人物を全然知らないし、現実に英国のどこかで生活しているだろう彼に関して、さほどの興味もない。だから音を聴くしかないのだが、だがそうすると、いさか逆説的なことに、ここに露わになっているのが、他ならぬトム・ヨークを主体とする、前に椎名林檎について述べた「ビョークの法則」なのだということが分かってくる。それは、つまり「あまりにも完成されたソング・ライティングの才能と、それを強力にリアライズできるヴォーカリゼーションを持ったアーティストの場合、自らの歌の力に抵抗しようとするかのように、その声を包み込む音の意匠を、次々と大胆なまでにアップデイトさせていこうとする」ということで、世界でもっとも「意匠」に敏感な国から登場した類い稀な歌い手は、日々変異し流動するスタイルを旺盛に摂取咀嚼しつつ、それらと自らの背負った「才能」との「抵抗」の有り様、いわば一種の「闘争」をくぐり抜けて、ここに至った、ということなのではないか。そして、このアルバムが持つ、レディオヘッドの通奏底音であるメランコリーとも決して矛盾しない、まぎれもない健康的な佇まいは、とても好ましい。
 少なくとも、彼(ら)の音楽を、希望と絶望の隠喩をゲーム的に循環させるような他愛ないレトリックで語ることは、今後は慎むべきだろう。そもそも、そんなことには意味はないのだ。
(初出:INVITATION)

Last Update : 2003/09/12