REVIEW/COMMENT

映画『ワンダフルライフ』

 是枝裕和監督の『ワンダフル・ライフ』は、一風変わった「幽霊譚=ゴースト・ストーリー」である。
 どことも知れぬ場所にぽつんと立つ古ぼけた建物に、死んだばかりの人々がやってくる。そこは「この世」と「あの世」の中間地点に位置する、とある施設。彼らはここで月曜日から日曜日までの一週間を過ごすのがきまりなのだ。水曜日までに、自分の生きた人生に思いをめぐらし、もっとも大切な思い出をたったひとつだけ、選び出すことを彼らは求められる。そして土曜日までに、その思い出は施設の職員たちの手によって「映画」に撮られ、日曜日には上映会が行われる。その映画を見ながら、最良の記憶とともに、彼らは正式に「あの世」へと旅立っていく。
 死んだ人といっても、老人もいれば若い人もいるし、すぐに思い出を見つけられる人もいれば、なかなか決められない人や思い出せない人、あるいは、過去を掘り返すことを拒否する人もいたりする。職員たちは「思い出探し」のカウンセラーみたいなもので、彼らとじっくり話し合いながら、もっとも素晴しい「記憶」を「映画」にできるよう、誠実に取り組んでいく。
 物語はこんな施設での、ある一週間を、ゆっくりとしたテンポで描いていく。何人かの「幽霊」たちが、思い出を見つけようとしていくエピソードが、並行して語られていくのだが、非常に興味深いのは、それぞれの役柄を演じている俳優たちに混じって、一般人=素人がたくさん起用されているということだ。彼らが語る「人生でもっとも大切な思い出」は、脚本に書かれたフィクションではなく、彼ら自身の、ほんとうの思い出なのである。セスナ機に乗って雲を間近に見た時の思い出、夏休み前日、通学中の都電のなかで抱いたワクワクする想い、兄に買って貰ったワンピースを来てお遊戯を踊ったこと……この映画のいくつかの部分では、出演した素人の人々への実際のインタビューがそのまま使われている。その意味では、これは一種のドキュメンタリーでもあるわけだ。しかも、この映画のなかでは、そんなほんとうの思い出も、物語の枠組みのなかで、「幽霊」たちの「映画」に撮られることになるのである。
 こんな風にして、この映画では、フィクションとドキュメンタリーとが、いや、もっと詳しくいうと、事実と記憶と現実と想像とが、複雑に、しかし穏やかに混じり合って、きわめてデリケートな世界を作り上げている。「時間」から置き去りにされたかのような「幽霊」たちの世界を舞台にしてはいるが、是枝監督が描こうとしたのは、ファンタジックなおとぎ話ではなく、僕たちがこうして生きている「時間」のほうであり、誰もが胸の奥に隠している「ワンダフル・ライフ」の思い出についてなのである。一瞬ごとに、今はすぐさま過去になっていく。それは何だか悲しいことだ。けれども反対に、思い出はそれがいつのことであっても、いつでも、今すぐに、思い出すことができる。思い出した時、そこに「過去」が生まれる。そこには記憶違いや美化が含まれているかもしれない。しかし、それで何がいけないのだろう。大切なことは、実際にどうだったか、ではない。いま、まさに頭の中で点滅している思い出が、いったいどのようなものであるのか、なのだ。
 映画という発明の素晴しいところは、いろいろなやり方で、「時間」を映し出すことができる、ということだろう。この映画を見終わった時、きっと多くの人が、自分自身の「ワンダフル・ライフ」について、問い直してみるに違いない。そしてそれは、グルリと回って、思い出を刻一刻と紡ぎ出していく「現在」について、想いを馳せることにも繋がっていくだろう。僕も、そうだった。
 主人公である施設の若い職員を演じるモデルのARATAは、とても好演していると思う。淡々とした物腰が、ナイーヴな役柄に似合っていて、印象に残る。内藤剛志、寺島進、新人の小田エリカ、谷啓らの演技も素晴しい。派手な映画ではないけれど、見逃して欲しくない作品だと思う。
(初出:装苑)

Last Update : 2003/11/04