いうまでもなく『東京物語』は、いまだに何年かに一度必ずブームがくる日本映画黄金期の名匠、小津安二郎監督による名作だ。では市川準監督の『大阪物語』は、『東京物語』に向こうを張った映画なのかといえば、そのつもりであるような気もするし、そうではないような気もする(もっとも、題名を付ける際に『東京物語』を意識しなかったわけはないから、完全に無関係であるはずはないが)。ひとつ言えることは、この映画が、確かに「大阪」を描いた「物語」であるということだ。しかし、たぶん小津が描いた「東京」もそうであったように、市川準による「大阪」もまた、現実の大阪とは微妙に異なっている。それは映画という仕組によって純化された、記憶や想いのなかにしかない「大阪」なのである。
ストーリーは中学生の少女・霜月若菜を語り手として展開していく。最初に自己紹介的なシーンがあって、20年もの間、売れない漫才コンビを組んできた父母と、小学生の弟がひとりいることが語られる。両親がやっている漫才は、いわゆる古いタイプの「夫婦漫才」で、お世辞にも若者向けとは言えないようなものなのだが、大阪の寄席の世界では、ヴェテランとしてそれなりの位置を得ている。ある日、浮気症で遊び人気質の父親が他の女性に子供を作ってしまったことが判明し、夫婦は離婚することになる。お互いの生活のために漫才コンビは変わらず続けていくことにし、住居も長屋の数軒先に定めるが、生まれてきた子供は若菜が面倒を見たりして、結局、別れているようないないようなことになってしまう。そして突然、父親が失踪した。若菜は父を探しに家を出る……
なんだか全然面白くない話のように思えるかもしれない。僕だって、物語だけ聞いたら見る気にさえならないだろう。しかし、にもかかわらず、この映画はなかなか良いのである。まず何といっても、出演者の存在感が際立っている。若菜を演じているのは、テレビのオーディション番組でグランプリを獲って、市川準監督の「三井のリハウス」のコマーシャル・ガールとなった池脇千鶴。撮影当時、17才でありながら14才の役柄を演じていることでもわかるように、とても小柄で幼い雰囲気なのだが、表情のひとつひとつやちょっとした立ち居振る舞いに芯の強さがふと覗くあたりが、実に印象的なのだ。大阪で生まれ育ったという彼女の大阪弁によるセリフ回しを聴いていると、大阪の言葉がキツいなんてのは錯覚で、実はきわめて繊細な言語(?)なのではないかとさえ思えてくる。しかも両親を演じているのが、沢田研二、田中裕子夫妻なのである。本物の夫婦であるから息が合っているというのではなくて、夫婦だからこそ逆に微妙な気持ちのズレを演じられるというあたりが、さすがというしかない。何というか、演技として上手いだけでなく、それを越える空気感を持っているのである。また、夫婦のマネージャーを演じる辻中達也は大阪の広告代理店に勤める素人俳優なのだそうだが、押し付けがましくない淡々とした演技で、朴訥で誠実な役柄を見事に表現していて、地味だけれど奇妙に記憶に残る。
こんな素敵な俳優陣によって織り成される「大阪」は、いかにも市川準監督らしいデリケートな風景の切り取り方もあいまって、一種のユートピアのような濃密なイメージを湛えている。大阪に住んだことのない僕のような者にさえ、ノスタルジーを感じさせてくれる映画なのだ。それはもちろん映画のなかにしかない「大阪」であって、現実の、かつての大阪とは違うものかもしれない。しかしそれでいいのだ。だって、この映画は『大阪物語』なのだから。
(初出:装苑)