TECHNOLOGICAL SOUNDSCAPE(SOUND&RECORDING MAGAZINE)

第二回

 いわゆる「電子音楽」の「歴史」の起点を、どこに置くのかという点については、諸説があると思うが、40年代末から50年代にかけて、世界各国に「電子音楽」の可能性を探るための研究施設=スタジオが相次いで作られ、新しい、また既存の作曲家たちが、エレクトロニクスによる音楽に盛んに取り組んでいったことが、その「はじまり」であるということに異議を称える者はいないだろう。
 だが、それぞれの場所における「はじまり」は、その基本的な方向性において、異なった個性を持っていた。たとえばパリのRTF(フランス国立ラジオ・テレビ放送局)のスタジオでは、ピエール・シェフェールとピエール・アンリとが、具体音・現実音の収集と編成による、いわゆるミュージック・コンクレートの研究を行っていたのに対して、ヘルベルト・アイメルトを所長とする独ケルンのWDR(西ドイツ放送局)に付属する電子音楽スタジオでは、具体音でも楽音でもなく、純粋な電子音のみによる音楽作品の可能性が主に追求されていた。これから問題にしてみたいのは、後者の方である。
 初期の電子音楽といえば、「エチュード」(52年)から「習作|」(53年)、「習作||」(54年)を経て「少年の歌」(55〜56年)、「コンタクテ」(59〜60年)へと至るカールハインツ・シュトックハウゼンの諸作が突出して有名であり、むろんそれらの革新性と芸術性についてはここで敢えて繰り返すまでもないわけだが、だがシュトックハウゼンの威光によって、同時代の貴重な幾つもの試みが、歴史的な忘却の憂き目に遭ってしまったことも、また事実なのではないかと思う。もちろん資料的な文献には多くの「電子音楽」の作り手と作品名が記されている。しかし、その内のどれだけが、現在、聴くことが可能であり、また実際に聴かれていることだろうか?
 たとえばシュトックハウゼン同様に、WDRで「電子音楽」の探究に勤しんでいたゴットフリート・ミハエル・ケーニッヒは、一般的には不当に低い評価を与えられていると言ってよい。"ACOUSMATRIX1/2 Gottfried Michael Koenig THE ELECTRONIC WORKS"という、ケーニッヒの作品を集めた2枚組CDの冒頭には、シュトックハウゼンの「少年の歌」と同時期に制作された「Klangfiguren|」という楽曲が収められている。「習作||」は純粋な電子音楽だったが、「少年の歌」でシュトックハウゼンはボーイ・ソプラノと電子音を融合させ、続く「コンタクテ」では電子音楽ヴァージョンに加えてピアノと打楽器を伴うヴァージョンも制作し、後のエレクトロ・アコースティック・ミュージックの先鞭を付けることとなった。シュトックハウゼンにとって、電子的なテクノロジーによる音響の実験は、まさしく「習作」に過ぎなかったのであって、ほどなくして彼はエレクトロニック・サウンドと既存の音楽形式や作曲手法の折衷や融合へと向かっていった。
 それに対してケーニッヒの「Klangfiguren|」は、いまだ純然たる電子音楽である。この作品は、幾つかのパラメーターを与えられた電子音群をマシニックに構成していくことで出来上がっており、楽曲的なエレガンスよりも、個々の「電子的に生成された音」との即物的な対峙を優先した、典型的な「黎明期の電子音楽」だと言っていい。そしてケーニッヒは、シュトックハウゼンがいち早く離脱していった、この段階に、その後も意識的に留まり続けたのだった。
 1968〜69年にケーニッヒは、「Funktion」と総称された連作を発表している。「Funktion Rot(赤)」「Funktion Grau(灰)」「Funktion Blau(青)」など、すべて色の名前を付された全8作から成る電子音楽で、オランダ、ユトレヒト大学に60年から設立された「ソノロジー研究所」で制作されたものである(64年から84年までの長きに渡ってケーニッヒは同所の芸術監督を務めた)。その内の5曲が先の"ACOUSMATRIX"に収録されており、そこには入っていない「Funktion Orange」が、「ソノロジー研究所」で制作された初期の電子音楽を集めたコンピレーション・アルバム"Institute of Sonology 1959-69"に収められている。驚くべきことは「Klangfiguren?」から15年経っていても、ケーニッヒがある意味で「黎明期の電子音楽」を作り続けているということである。
 当時の「電子音楽」は、初期のさまざまな試行を終えて、多様な方向性が並列する過渡的な状況にあり、多くの作曲家は、より折衷的な手法へと向かいつつあった。また、60年代半ばにモーグ・シンセサイザーが発表されており、68年にはウォルター・カルロス(後のウエンディ・カルロス)の「スイッチト・オン・バッハ」や、モートン・スボトニックの「シルヴァー・アップルズ・オブ・ザ・ムーン」など、シンセサイザー音楽の名曲が相次いで発表されている。そして70年には、あのクラフトワークがファースト・アルバムをリリースすることになる。急速に進む電子的テクノロジーの発展の中で、エレクトロニクスのポピュラー・ミュージックへの導入と転用が始まりつつあった。
 そのような全世界的な流れの中で、ケーニッヒの「Funktion」は、ほとんどアナクロニズムとさえ受け取られかねないような、古典的な「電子音楽」とも映る。この連作は「ソノロジー研究所」でケーニッヒが独自に開発したヴォルテージ・コントロール・システムを使用しており、技術的には「Klangfiguren|」とは比較にならない程の進化を遂げている。ケーニッヒは優れた技術者でもあり、この直後の70年には、コンピューターを用いた最も初期の作曲プログラムのひとつとして知られる「Music1」を発表している。
 だが、少なくとも聴感上の印象としては、「Funktion」連作は、「Klangfiguren|」から、さほど隔たった感がしないのである。複数の電子的なノイズが、アトランダムな結合と離反を繰り返していくさまのヴァリエーションを聴かされているようであり、まるで音楽制作用ではない何らかの電子機器の回路実験の実況録音のごとき、異様に機械的で即物的な印象を受ける。端的にいって、それらはほとんど「音楽」には聴こえないのである。
 この連作についてのテキストの中で、ケーニッヒは音の「透磁率(Permeability)」ということを強調している。透磁率とは本来は、磁束(磁力)の通りやすさを示すものだが、彼はそれをサウンド・シークエンスにおける音の相互的な浸透のしやすさ、すなわち同時に鳴っている音同士の透過性というような意味で用いている。

「私は、作曲の進化というものを心理学的にではなく物質的な基準で判断する限りにおいて、音楽の歴史が意味を与えてきた音響的素材の特性=資源のなかでは、ここでいう透磁率を、アルゴリズミック・コンポジションのために最高のものと常に見なしてきた」(ケーニッヒ)

 ケーニッヒは「音」を極めてマテリアリスティックに捉えている。だが、このような姿勢は、もちろん彼に特有のものではなく、「電子音楽」の「はじまり」においては誰もがそうであらざるを得なかったのだ。電子的に「音」を生成させるという試み自体が、たとえどれほどの「音楽」的な才能を持った者であったとしても、エレクトロニック・サウンドを利用可能にするための一種、エンジニア的な感性と認識を、ひとまずは要求したのだから。いうなれば、その時点での「電子音楽」は、実は未だ「音楽」のカテゴリーに属するものではなく、むしろ「音響」の「科学」と呼ぶべきものだった(当時の作品の多くが「習作」というタイトルであるのは、それゆえだと思われる)。
 だがしかし、シュトックハウゼンについて触れたように、さほどの時を経ずして「電子音」は、従来の「音楽」に包含され得る素材の一部へと回収されることになる。ケーニッヒがユニークなのは、「作曲の進化というものを心理学的にではなく物質的な基準で判断する」ことにあくまでこだわり続け、「音楽」以前の段階、つまり「音響の科学」の次元を、長い間、保持し続けた点にある。そして、それは見方を変えれば、かなり倒錯的なスタンスだといっていい。それはいわば、何をどのように描くかではなく、どんな絵の具を使うかにばかり拘泥しているようなものだからだ(この意味で「Funktion」に色の題名が付されていることは面白い)。
 ところでしかし、このようなケーニッヒ的「黎明期の電子音楽」=「音楽以前」=「音響の科学」は、その倒錯性とアナクロニズムにもかかわらず、現在の耳で聴いてみても(いや、現在の耳で聴くからこそ尚更に?)、非常に刺激的に思えるのだ。「Funktion」連作は、いわゆる「音響派」、たとえばウィーンの実験電子音楽レーベル、メゴに属するアーティストたちの諸作(とりわけレーバーグ&バウアーの《FaBt》やフェネスの"Plus Forty Seven Degrees 56'37" Minus Sixteen Degrees 51'08""など)と、ほとんど同じ感覚で聴くことが可能なのである。もちろんそれはメゴが実際に「黎明期の電子音楽」から直接的間接的な影響を受けているということでもあるだろうが、それだけではない。ここには、ある種の「反復」が見え隠れしているように思える。

Last Update : 2003/10/20