高橋悠治は、1988年に書かれた「ランダム・アクセス・メモリーとなった音楽」という文章の中で、次のように述べている。
ヨーロッパの現代音楽について----そこでは作曲家がすべてを管理しようとして、オーケストラや巨大なコンピューターのようなアナクロニズムにしがみついているようだ。コマーシャルなシンクラビアがCD1枚分のディジタル・サンプルを製作できたり、サンプラーと結びついた編集ソフトウェアが数万円で入手できる時代に、国家予算をつかってアナログ・テープをハサミで編集したり、NATO司令部がつかうようなコンピューターをもちだしてオーケストラにディレーをかけたりしている前衛作曲家もいるのだ。だがエレクトロニック・テクノロジーには今までのような作曲家は必要ない存在だ。紙に書かれた記号は印刷されたまま変わることはない。電子的に記録されたものはだれでもが編集し、変えてしまうことができる。この意味で、それは印刷文化というより口承文化に近い。ヨーロッパ流の作曲とは他人から音楽する権利を奪うものだった。今、作曲することは人びとが自分の音楽を始めるための手がかりを提供することだ。
「ランダム・アクセス・メモリーとなった音楽」高橋悠治 『カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』(晶文社)所収
さながら恐竜のごとく鈍重で尊大な大型コンピューターを用いた「作曲=プログラム」に対して、この時期の高橋は、パーソナル・コンピューターや小型サンプラーによる、軽やかで自由な「即興=演奏」の方に可能性を見出していた。「エレクトロニック・テクノロジーには今までのような作曲家は必要ない存在だ」というのは、テクノロジーの進化が「音楽」に装填するベクトルが、「作曲/楽器/譜面」を司る、古典的な意味での「音楽」という「歴史=制度」の担い手としての「作曲家」と呼ばれる存在とは、必然的にすれ違うものだという認識を示している。
「電子音楽」の誕生の直接的な導因が、「作曲」という創造的作業を、より複雑かつ微細なレヴェルにおいて行おうとする欲望であったことは、既に何度も述べたとおりだが、その後ほどなくして、一方では、それはむしろ既存の「楽器」の単なる延長や代替物に過ぎないものへと、あっけなく落ち込んでいき(つまり「音楽=歴史=制度」へと回収されていき)、またもう一方では、日進月歩のエレクトロニクス〜コンピューターが切り拓いていく手法的な可能性の闇雲な拡張に、従来の「音楽」の理念が全的には対応できない、というズレも生じてゆく。コンピューターを無理に使いこなそうとすると、それは多くの場合、テクノロジーのデモンストレーションとしか思えない結果に陥りがちになり、しかも、そこから美学的な成熟や洗練へと向かう前に、早くも次なるテクノロジーが現れてくる、というわけである。
だが高橋は、このような堂々巡りは、実は前提自体が間違っているのだということに気付いていた。刻々とアップデイトされているとはいえ、いまだけっして無謬で完全なものではなかった、当時の「エレクトロニック・テクノロジー」が、それに較べて遙かに綿々たる長さと確固たる厚みと強度を有する「歴史」を備えた「音楽」にもたらすポジティヴな寄与とは、既存の「作曲/楽器/譜面」を、単に「再現=代理」することでもなければ、それらを含む「音楽」のイディオムのひたすらな量的増大でもない。それはまず第一に、「音楽」に対するアクセサビリティを向上させること、すなわち固く結びついた「作曲/楽器/譜面」をテクノロジーの力によって融解させ、それぞれの権能を無意味化し、そのことによって「作曲家」と「演奏家」が(多くの場合、非対称的に)対峙してきた「歴史=制度」に罅を入れることにあった。こうして選ばれた方法は、次のようなものだった。「シンセサイザーの音色をつくる。プリセットか、ランダムなパラメーターの組み合わせを編集しながら、ピッチや音色が指先で不安定に変化するように調整を加える。サンプラーのなかでのサンプルの選択とキーボードへの割当を決める。各部門に使われる音色と演奏スタイル、必要ならつかうキーを決める。各部門の始まり方をメモする。ここまでで作曲は終わる。後は全体の区分と各部門のメモを見ながら、その場で演奏するだけだ」。
つかう音を限定する方が、自由になれる。四つの音だけで八分ほど即興したことがあった。始めのフレーズを手がかりにしてそれを変奏することも、そこから離れることも、思いがけない組み合わせをつくることもできる。これがピアノの八十八のキーを自由につかって即興することになれば、システムや伝統なしにはたちまち行き詰まってしまうだろう。プログラムされた行動が優位に立てば、作曲家に支配される結末になる。細部を固定しながら量的に拡大していけば、音楽はついに少数の特権にもとづく制度----つまり今の現代音楽のようになるのだった。
(同前書)
パレットの絵の具が一挙に沢山増えたからといって、それらをすべて使って絵を描かなければならないわけではない。一足飛びに、そのようなことを試みようとすれば、出来上がるのは、ただのカオスか、せいぜいが画布上におけるパレットの再現でしかない。むしろ重要なことは、そこからいかにして、その時、書きつつある絵のために必要な色を選び出し、そして手際よく筆をパレットと画布のあいだで移動させるか、つまりイディオムの限定と選択の迅速性と効率性の追求である。描く筆=手とパレットの絵の具に不均衡が生じると、「システムや伝統なしにはたちまち行き詰まってしまう」。
ここでいう「システムや伝統」とは、われわれの言葉でいえば「歴史=制度」のことだといってよい。「エレクトロニック・テクノロジー」との関係性において、「音楽」という「歴史=制度」から離反し続けるために、高橋が採った戦略は、まずもって、このようなものだった。「自由」になるために「つかう音を限定する」こと。ところがしかし、それはなかば必然的に、ある困難に見舞われることになった。
1994年に発表された「数の楽器」、およびその語り直しというべき98年の「音楽とテクノロジー」というテキストにおいて、高橋はその「困難」について述べている。それはまず「コンピュータは同質の情報を大量に高速で入力することができる。しかし、入力したものを個別に訂正しようとすると、たちまち手作業になってしまい、全体としては、はじめから手作業でやったほうがはやかった、ということになりかねない」ことであり、また「生楽器の音は、なにもしなくても刻々変化している。ところが、電子音は基本的には反復されるパターンであり、変化は外部からプログラムしなければならず、プログラムというものも反復される手続きなのだから、すぐにききあきてしまう。その時は新鮮にきこえる音も、しばらくたつと色褪せているので、コンピュータをつかった作品は、再演するたびに音素材に手を加えなければならなかった。何年もこうした作業をつづけていると、これは発達段階の問題ではなく、おそらくいまのテクノロジーでは原理的に越えられないもののように思われてきた」ことである。そして更に「音はプログラムの外部にあるデータとして一方的に操作される対象にすぎない。音によってプログラムが変ることはない。プログラム、あるいは内部というものは、外部とは独立していて、それが採り得る選択肢は、あらかじめ設定された境界内に決められている。原則的にはあらゆる場合を列挙し、それに対応できるようになっているはずだが、現実には予測しない事態が起こり、その場合はプログラムは暴走するか、停止する。すべての場合が予想されているとすれば、それらは等価値で、その範囲内なら何をしてもおなじことだし、だれでも使えるプログラムは、そのすべての使いかたをすでに含んでいるから、プログラムがその使用者を規定してしまうことになる。おなじプログラムやシンセサイザを使った音楽はみんな、どこか似たところがある。見えるのは、その使用者の顔ではなく、機械やプログラムの顔なのだ」。(以上、引用はすべて「音楽とテクノロジー」より)。
1993年に作曲された「翳り I〜VII コンピュータ音楽演奏システムのために」は、自然音のサンプリング(非常に微かで慎ましい音ばかりである)をMaxによってコントロールした、一種のアンビエント・ミュージックであり、CDをエンドレスまたはランダム・モードで再生することが推奨されていた。「音」を極端に後景化することによって、先の困難のひとつ〜「プログラムというものも反復される手続きなのだから、すぐにききあきてしまう」ことを回避することが意図されていたものと考えられる。この作品は、高橋悠治の「最後のコンピューター作品」だとされ、実際、その後の長きに渡って、彼はコンピューターを封印することになる(95年の大作「音楽のおしえ」では演奏の一部に使用されているが)。そして、その「封印」が解かれるには、新しい世紀を待たねばならなかった。