TECHNOLOGICAL SOUNDSCAPE(SOUND&RECORDING MAGAZINE)

第十五回

 1958年、ベルギーのブリュッセルで開催された万国博覧会のフィリップス・パヴィリオンの設計を依頼された建築家ル・コルビュジエは、「ポエム・エレクトロニーク」(電子的な詩)というコンセプトのもと、当時彼のアシスタントだったクセナキスとともに、後生まで長く語り継がれることになる、野心的かつ画期的なプロジェクトを完成させた。秋山邦晴は、この壮大な試みについて、次のように紹介している。

 建物の内部壁面には四百個のスピーカー群を設置した。ここから電子音楽を放射し咆吼させたのである。その音楽は実験的な老闘将エドガー・ヴァレーズが作曲したが、クセナキス自身も作曲家として、そのプレリュードといったかたちで、テープ音楽〈コンクレ・P・H〉を作曲したのだった。このような音楽と同時にアフリカの土人たちの顔、広島の原爆のキノコ雲、宗教の像、仮面‥‥‥こうした映像が壁面全体にうつしだされ、音響と映像と色彩とがこの空間のなかで渦をまきながら観衆たちを包みこんでしまったのだった。(表記は原文のまま)
「イアニス・クセナキス」秋山邦晴『現代音楽をどう聴くか』(晶文社)所収

 〈コンクレ・P・H〉の「コンクレ」とはコンクリートのこと、P・Hは「Paraboloide Hyperbolique(=双曲放物面)」の略号である。クセナキスはル・コルビュジエが描いた、ごく簡単なスケッチを元に構想を練り、双曲放物面とコノイド(=円錐)から成る、極めてユニークな幾何学的建造物のアイデアを提案した。それは具体的なディテールをめぐる発注者や施工側との幾多のネゴシエーションを経て実現されることになった。
 師コルビュジエに「クセナキスのなかでは、技術家・音楽家・建築家というこの三つの職分が、じつにぐあいよくいっしょになっているのである」(『モデュロール・二』吉阪隆正訳)と評されもした、クセナキスの出世作にして代表作というべき、このフィリップス・パヴィリオンの設計理念に関しては、著書『音楽と建築』の中で詳細に説明されているが(これを読む限りフィリップス・パヴィリオンは実質的にクセナキスの設計によるものだったと思われるが、コルビュジエはこの後も弟子の作品を自身の名前で発表し続け、その結果クセナキスは1959年に師から離反することになる)、数式や図表を多用した非常に専門的な記述であるため、ここでは立ち入らない。それに、何よりもクセナキス自身が、次のように述べてもいる。

 フィリップス館の内部にいる時、ひとはその幾何学を意識することなく、その曲率に影響される。(中略)容積の習性の抽象法則の厳密さは「直接」感じ取ることができる。論理の「フィルター」は快感の補助にすぎない。
『音楽と建築』高橋悠治訳(全音楽譜出版社)

 いかに厳密な論理に基づく整然とした幾何学であっても、重要なのは論理のトレースでも幾何学の解析でもない。最終的に、作り手とは専門的な共通言語を一切持たない鑑賞者にとっても、それが「体験」のレヴェルでは十全に感得されることが肝要なのだ。それが「直接」に感じ取られる時、いや、そのためにこそ、むしろそのプログラムは、ほとんど透明に、不可視になっているべきなのである。いわばひとはそこで「抽象法則」それ自体を体感することになる。
 このような考え方は、そのままクセナキスの音楽にも当てはまる。既に触れたように、フィリップス・パヴィリオンの写真がジャケットにあしらわれたコンピレーションCD"an anthology of noise & electronics music-first a-chronology 1921-2001"には、ヴァレーズの「ポエム・エレクトロニーク」とクセナキスの「コンクレートPH」が続けて収録されている。また「コンクレートPH」は、同じくパリのGRMで制作された、クセナキス最初の電子音楽である「ディアモルフォーズ」(57年)や、やはり初期の傑作「ボホール」(62年)、1970年の大阪万博の際にNHK電子音楽スタジオで制作された「響・花・間」(69〜70年)等とともに、クセナキスの代表的な電子音楽作品を集成したアルバム"Electronic Music"でも聴くことができる。
 「(「コンクレートPH」は)この建築の構造とおなじ法則をつかって、電子音響学的に作曲した音楽なのだ。その清澄な鉱物的な無数のひびきは、まるで音の微粒子が尾をひいて前後左右にとびかい、交錯するように感じられる。そして音が放物線の軌跡や流動を描きながら異質の空間をうみだすのである」という秋山邦晴の言葉どおり、3分にも満たないこの曲は、「ボホール」を経て畢生の傑作「ペルセポリス」(71年)へと連なる、クセナキスの正しく「建築的=鉱物的」な電子音楽の出発点と呼ぶべき秀作である。それはまさに「コンクリート=物質」と「双曲放物面=数学」とが突き合わさった次元に属していた。物質としての音と数学としての音。この問題設定は真っ直ぐに今日の「電子音響」へと繋がっている。
 秋山邦晴はこう書いている。

 現代はあらゆるものが数学の支配のもとにあると考えることもできる。いわばコンピューターに象徴されるような数学的な論理思考法があらゆる分野をおおいつくしていきつつあるような傾向が現在の状況なのだ。
 しかしひとびとはこれを機械の時代と勘違いするところに、数学や科学を忌みきらい、芸術とは無関係なものとして否定しさるのである。あるいはまた逆にコンピューターを神秘化する楽天的なテクノロジー+芸術論者も登場するわけである。
 しかしクセナキスはこうした現代のテクノクラートへの追随者とはまったく別な方向から数学的論理学をこころみ、科学的な精神をこころみるのである。かれにとっては数学やテクノロジーが絶対なのではなく、逆にそれをうみだした人間の思想や論理的な思考が重要なのである。

 注意を促しておくべきかもしれないが、この文章は1969年に書かれたものである。そして秋山氏は続けてクセナキスの「音楽は数学を支配しなければならない。そうでなければ、音楽は数学になってしまう。それはまことにくだらないものだ」という言葉を引用している(この言葉がセリー主義への批判でもあることは疑いないだろう)。
 断っておくが、言うまでもなく、数学や物理学の最新の成果を積極的に自身の作曲法へ導入していったクセナキスだからこそ、こうした発言が生きるのであって、ただ単に「数学/科学」と「芸術/音楽」を対立させて、いずれかに偏ったポジションを採ることは、軽率の誹りを免れないだろう。そしてそのような軽率さが、この指摘から三十数年が経過した現在もなお、ほとんどそのまま反復され続けているかに見える惨状は、やはり憂うべきではないかと思える(「楽天的なテクノロジー+芸術論者」と、ただやみくもにテクノロジーの芸術への寄与を感情的に嫌悪し批判する者は、敢えて言うなら、同じコインの表裏でしかない)。
 物質としての音と数学としての音、とは、言い換えれば、物理現象としての音と、計算(可能な)値としての音、ということになるだろう。両者はともに「電子音楽」の誕生によって、より正確には「電子音楽」を生み出したテクノロジーの進歩(この言葉はニュートラルに解されなくてはならない)によって露出してきたものであり、古典的な「音楽」の時代、すなわち「人間」の「内面」なるものと「音楽」の様態とが分かちがたく結びついていた時代には、「音」をめぐる認識の範疇には含まれていなかったものである。この時はじめて、「音」の抽象性を体験することと、「音」の具体性を思考することが、同時に誕生したのだった。
 繰り返し述べてきたように、黎明期の「電子音楽」は、「音楽」というよりは「音響の科学」もしくは「音の工学」というべきものであったがゆえに、作曲家が望むと望まざるとにかかわらず、この点に鋭く触れていた。だが、程なくして「電子音楽」の大半は、既存の「音楽」の歴史性と美学的価値判断へと(自ら進んで?)回収されていくことになった。ところが、「コンクレートPH」を嚆矢とするクセナキスの電子音楽作品、いや、電子音楽に限らないクセナキスの音楽的試みのすべてに、「音」の「科学/数学/工学」としての「音楽/芸術」のディベロップメントという、ほとんど不可能とさえ思われるベクトルが、あからさまに示されているのである。この意味で、現在のいわゆる「電子音響」の祖は、ピエール・アンリでもシュトックハウゼンでもなく、まちがいなくイアニス・クセナキスだと断言できる。

Last Update : 2004/02/23