ゴットフリート・ミハエル・ケーニッヒと同じく、ユトレヒトの「ソノロジー研究所」で活動していたオランダの作曲家に、ディック・ラーイメイカーズという人がいる。彼が1960年に作曲した最初期の電子音楽作品である「Pianoforte」は、CD"Institute of Sonology 1959-69"にも収録されているが、その曲も含む、この異形の電子音楽家の全体像は、1998年にリリースされた、200頁にも及ぶ詳細を極めるガイドブックも付いた3枚組のCDボックス・セット"THE COMPLETE TAPE MUSIC OF DICK RAAIJMAKERS"で、現在は一望することが出来る。ラーイメイカーズという存在は、おそらくケーニッヒ以上に、一般的には知られていないだろうが、1965年には、あのスタンリー・キューブリック監督が、名作『2001年宇宙の旅』のための音楽を依頼したこともある(が、ラーイメイカーズの方から辞退している。周知のように、同作では有名な「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しく青きドナウ」などのクラシックの既成曲が主に使用されているが、実際に映画でも使われたジョルジュ・リゲティから作曲しながら結局お蔵入りとなったアレックス・ノース、企画だけで終わったピンク・フロイドに至る、オーバー・ジャンルの音楽家たちが段階的に関わっていた)。
ラーイメイカーズの代表作は、1964年から67年にかけて連続的に作曲された一種の組曲「Canon」である。「Canon-1,super augere」から「Canon-5,super 'dis-moi...'」までの全5曲から成り、短いもので2分台、もっとも長い曲でも7分足らずの、比較的短い楽曲群で構成されている。G・M・ケーニッヒが「Funktion」連作を発表し始めるのは68年からのことだが、ラーイメイカーズの「Canon」は、今日のいわゆる「電子音響」との繋がりという視点において見る限り、より直接的な、かつ決定的な重要さを持った作品であると言える。「Canon」は後述する「Canon-5」を除いて、純然たる電子音楽であるが、同時期の他の作曲家たちによる諸作品とは多くの点で非常に異なっている。"THE COMPLETE TAPE MUSIC〜"のガイドブックに寄せた作曲家自身のライナー・ノートによれば、それは一種の「ネズミの音楽(mice music)」なのだという。
「ネズミのほうが人間や他の動物たちより、この種の音楽を好むだろう、ということではなくて、この作品が造り出す"音楽"が、ネズミがあちこちをカリカリ、ガリガリと囓るのと、同じ種類のものだということである。それはパチパチという乾いた音と、聴き取れないピッチ、せいぜいが絞め殺されるネズミの鳴き声のようなものであり、大き過ぎることはないものの、しばしばソフト過ぎて、何が起こるのか皆目分からないまま、ひたすら慌ただしくて、いつまでも止むことがない」
この件りに限らず、ラーイメイカーズによるライナー・ノートは、独特のユーモアも漂う極めて詩的、文学的な表現と、アカデミックなタームを用いた具体的な説明とが混在する、実にユニークなものなのだが、実際のところ「Canon」は、まさにこのような音楽なのである。「Canon-1,super augere」は、個別のピッチを与えられた8つのパルスが、次第に増殖していくというシンプルなルールを持っている(副題の"augere"は蘭語で「増大」という意味)。「imprimere=印刷」という副題が付いた「Canon-2」は、前作の「白黒印刷」であるとされ、くぐもったノイズの層が「Canon-1」を塗り込めてしまっている。続く「Canon-3」には「addere=足し算」、「Canon-4」には「sub-trahere=引き算」という、対になる副題が付されている。
これらの連作はいずれも、所与の音響的マテリアルを、何らかの法則に従って「反復=重複」(もしくは「非=反復」としての除去)していくというスタイルを取っている。ある旋律を、厳格に反復し織り重ねていくバロック的な音楽形式を指す「カノン」という語が、総タイトルに冠されているのは、このためだろう。しかし、それは同時に「ネズミの音楽」なのであり、カサコソ、ガリガリ、チューチューという、徹底して「非=音楽的」な音響が、反復し連結し重なり合ってゆく、奇怪で異様な電子音楽なのである。
連作の最後に位置する「Canon-5,super 'dis-moi...'」は、極めつけにユニークな曲である。この作品のみ例外的にエディット・ピアフの「声」が使用されているのだが、それは、この曲が作られた67年に偶然に発見された、LPレコードの黎明期にプレスされたという、いわゆるテスト盤に記録されていたものなのだ。長い時間を経てきたディスクはひどく痛んでおり、ピアフの歌声は激しいサーフェイス・ノイズに覆われ、ほとんど聴き取れない箇所も多かった。ラーイメイカーズは前作までとは打って変わって、この古ぼけたLPを何度かプレーヤーで再生することで得られた音の素材だけを用いて、楽曲を構成した。そのため「Canon-1」から「Canon-4」までは、それぞれ何ヶ月も制作に費やしたのに対して、「Canon-5」はたったの数時間で完成に至ったのだという。にもかかわらず「Canon-5」は、他の「Canon」と明らかに連続した印象をリスナーに与えるのだ。ピアフが歌う「Dis-moi pourquoi tout devient noir, plus rien n'existe.....」(なぜ全てが漆黒となり、何も存在しないのか、私に仰ってください‥‥)という意味ありげな言葉が、この不思議な連作に、奇妙にメランコリックな結末を与えている。
「Canon」は全編、スクラッチ・ノイズやサーフェイス・ノイズのような、いわば「ネズミ的」な音響しか使われていない、すこぶるユニークな作品である。発表当時は、かなり異端的な扱いを受けたであろうことは想像に難くないが、現在の耳で聴けば、ゴットフリート・ミハエル・ケーニッヒの「Funktion」以上に、アクチュアルな「電子音響」の諸作との強い親近性が感じられることだろう。いや、それだけではなく、むしろ「Canon」を聴くことを通して、90年代以降の「電子音響」が反映させてきた、幾つかの問題に対して、新たな照明を投げ掛けることになるのではないかとさえ思えるのだ。
実は、"THE COMPLETE TAPE MUSIC〜"がリリースされるよりも前から、ディック・ラーイメイカーズという名前は、一部の熱心なノイズ・ミュージック、電子音楽リスナーの間では、つとに知られていた。それはまず第一に、「Canon」の全曲と、「Canon-5」と同じく67年に発表された「Ballade Erlkonig voor Luidsprekers」(短波ラジオと電信電話から採集した音源をコラージュした、やはり独創的で奇形的な傑作)を収録した、確認できた限りでは"THE COMPLETE TAPE MUSIC〜"以前に正式にリリースされていた唯一のLPが、熱心に聴かれ続けていたからだが、それ以上に、ラーイメイカーズと、いわゆる「ダッチ・ノイズ・シーン」との興味深い関係によるものだと言える。
たとえばアムステルダムで80年代よりラディカルな活動を継続している「V2オーガニゼーション」が、1992年にリリースしたコンピレーションCD"CD VOOR INSTABIELE MEDIA"には、ザ・ハフラー・トリオ、ザ・ヘイターズ、メルツバウなどといった「ノイズ・ミュージック」の最重要アーティストと共に、ラーイメイカーズの楽曲が収録されている。「INSTABIELE MEDIA=不安定なメディア」とはV2が掲げる基本コンセプトであり、アート、テクノロジー、政治、哲学、音楽などといった諸分野における、旧態依然たる「安定性」を揺るがすための、様々な戦略が模索されていた。「ノイズ」もそのひとつであり、V2によるノイズ・ミュージシャンへの積極的なサポートが、アムステルダムという都市を、このアンダーグラウンドな音楽形態の国際的な拠点の一つへと形成していくことになる。"CD VOOR INSTABIELE MEDIA"も、そうした流れの中で生み落とされたものだが、今やノイズ・シーンの重鎮となった錚々たる顔ぶれが並ぶ中で、1930年生まれのラーイメイカーズが最年長者として参加しているのだ。
"THE COMPLETE TAPE MUSIC〜"の資料には、このコンピレーションへの参加についての記述はなく、収録曲の「Ideophone1971」も3枚組CDには入っていない。だが後者についての理由ははっきりしている。このトラックはテープなどに固定された電子音楽ではなく、ラーイメイカーズが発明した「イデアフォーン」なるものの「演奏」をドキュメントしたものであるからだ。「イデアフォーン」は一種のオーディオ・ヴィジュアルなインスタレーションであり、資料写真を見る限り、複数のスピーカー・システムが鏡面的に対置されている(余談だが、2002年にフランクフルトで催されたサウンド・アートの展覧会「フリークエンシーズ [Hz]」にフィンランドのトミ・グリュンルンド&ペッテリ・ニスーネンが出品していた作品が、これとよく似ている)。「イデアフォーン」は71年にアムステルダムの「Geluid Kijken("Watching Sound"の意)展」で発表されたが、この時期にラーイメイカーズは、65年以来教鞭を執っていたハーグの王立芸術院の生徒と教師たちを組織して、「ヘット・レヴェン(=人生)」という名称の電子楽器による即興演奏集団の活動も行っていた。そして彼が創始した、こうしたベクトルが、90年代における新しいタイプの「電子音響」の登場を、遠く準備することにもなるのである。