ディック・ラーイメイカーズが、オランダ、ハーグの王立芸術院の教師および生徒たちと組織した「ヘット・レヴェン(=人生)」は、電子楽器をメインとする即興演奏グループという、非常にユニークな試みだった。
もちろんそれ以前から世界のあちこちで、エレクトロニクスをフィーチャーした即興演奏は、さまざまな形態で行われてはいた。フレデリック・ジェフスキー、アルヴィン・カラン、リチャード・タイテルバウム、アラン・ブライアント等による、多数のハンドメイド電子楽器を駆使したムジカ・エレットロニカ・ヴィヴァ(MEV)や、ギターを一種の電子楽器に改造してみせたキース・ロウを含むAMM、エレクトロニクス奏者ヒュー・デイヴィスが参加していたデレク・ベイリーのミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニー、より早い時期では60年代初頭には活動を始めていた小杉武久や水野修孝、刀根康尚らによるグループ音楽などが挙げられる(小杉のタージマハール旅行団は70年代前半に活動することになる)。
だが「ヘット・レヴェン」の場合、電子音楽のスペシャリストであるラーイメイカーズが考案した、さまざまな電子機器を演奏に使用していたことと、「即興」を「作曲」の対立概念として単に顕揚するのではなく、むしろ往々にしてかなり奇抜な発想を基にした、エレクトロニックなシステムを設定して、その中である種のゲーム的な演奏行為を行うことによって、両者の閾を無効にしていくような戦略が採られていたことが特筆に値する。
「このグループ(=ヘット・レヴェン)のもっとも重要な目的は、作曲技法上はもちろんのこと、社会的、政治的な観点においても、現代のエレクトロ・アコースティック、電子テクノロジーと、音楽との間の関係性を向上させることにある。このグループは、教育的な方法は言うに及ばず、実践的にも、この音楽的エイリアンというべき新しい電子機器をいかに操るか、という点に注意を促そうとしている。オランダでは初めての、王立芸術院に付属された電子音楽のためのスタジオという存在が、こうした重要な考えを導き出したのである」(ラーイメイカーズ)
ラーイメイカーズは「ヘット・レヴェン」のための自身の作品を「教育的作品(エデュケーショナル・ピース)」と名付けていた(インストラクション・ピースという記述もある)。"THE COMPLETE TAPE MUSIC OF DICK RAAIJMAKERS"には、「Kwartet」「De Lange Mars」「Chairman Mao is our guide」の3曲の「教育的作品」が収録されている。
たとえば「Kwartet」は、弦と弓をすべて金属に交換したストリングス・カルテット(チューニングは通常と同じ)によるもので、それぞれの楽器から生じる音はコンタクト・マイクで電気信号に変換される。第一ヴァイオリンの信号は全パートの第一弦に、第二ヴァイオリンの信号は同様に全員の第二弦に、ヴィオラは第三弦、チェロは四弦に、長いケーブルで接続されている。すると各自が弦に弓で触れるだけで、一種の電気回路が発生し、モニター・スピーカーからは楽音とともに接触不良的なノイズが聞こえる。演奏者はフット・ペダルを使って、スピーカーからのサウンドの音量を調整することができる。実際の演奏は「演奏する」「受信する」「聴く」「休む」の4つの図形が配されたパート譜によって行われる。このシステムによって、ストリング・カルテットが、一種の「電話交換機」のようなものになるのだとラーイメイカーズは言う。また、"THE COMPLETE TAPE MUSIC〜"には入っていないが、「Kwartet」の続編と言える作品「Kwintet」は、それぞれ1弦のみを張った5台のヴァイオリンと、5台のサイン・ウェイヴ・ジェネレイターを組み合わせたものである。
なんと奇怪なアイデアだろうか。これに限らず、ラーイメイカーズの「教育的作品」の特長は、複数のプレイヤーによる演奏が、いわゆる合奏とも集団即興とも違った、いわばインタラクション(相互作用)であると同時にお互いへのインタラプション(妨害)でもあるような、パラドキシカルなルールを有していることであり(「社会的、政治的な観点」とは、こうしたことと関係しているものと思われる)、そしてそのルールが適用されるフォーマットが、主にエレクトロニックなアイデアによって設定されている、ということである。
また、この時期、ラーイメイカーズは、幾つかの独立したラインアンプ、変調器、フィルター、サイン・ジェネレイター、それに“ミックス・ユニット”などを縦列させた、バッテリーで駆動する、小さなモジュラー・システムを開発し、「ヘット・レヴェン」での演奏にも使用していたという。このように、電気、電子工学的な、すなわちテクノロジカルな要素が、音楽の根本的な成立条件と、分かちがたく結びついていることが、ラーイメイカーズを他の「電子音楽」の作曲家から決定的に隔てている点だと言える。
ラーイメイカーズの「イデアフォーン」の演奏が収録されたV2オーガニゼーションのコンピCD"CD VOOR INSTABIELE MEDIA"に、THU20というグループが参加している(グレゴリー・ホワイトヘッドとのコラボレーション・トラック)。1987年にオランダで結成されたTHU20は、ジャック・ヴァン・ビュッセル、ギド・ドエスボルグ、イオス・スモールダース、ロエル・メールコップ、ピーター・ドゥイメリンクス(彼はV2のキュレイターでもある)の5名のオランダ人から成る、エレクトロニクスとテープ・マニピュレーションのみを演奏に用いるグループだった。彼らはノイズ・エクスペリメンタル・ミュージックの国際的シーンで活躍し、数本のカセットテープと2枚のCDを残して90年代の半ばに活動を休止、その後、90年代後半よりふたたび断続的にライヴを行っている。
また、これに遡る1984年には、フランス・デ・ワードという人物が、カポテ・ムジークという名称で音楽活動を開始していた。「リサイクリング・サウンド」をコンセプトとするカポテ・ムジークは、何度かのスタイル上の変遷とメンバーの異動を経ながらも、現在に至るまで活動を続けている。90年代中盤以後は、THU20のロエル・メールコップとピーター・ドゥイメリンクスが正式にメンバーとなり、2001年夏には来日も果たした(川崎市民ミュージアムに於けるグループ展『偶然の振れ幅』。同展を記録したDVDにはカポテ・ムジークのライヴ・パフォーマンスの模様も収録されている)。デ・ワードは82年に設立されたスタールプラートの主要スタッフの一人でもある。スタールプラートは数多くのノイズ・バンドやサウンド・アーティストを長年に渡りバックアップしてきたレーベルであり(過去にはジム・オルークや池田亮司も作品をリリースしている)、ディストリビューターであり、コンサートやフェスティバルをプロデュースしてきたオーガニゼーションでもある。
カポテ・ムジークとTHU20は、ダッチ・ノイズなどと呼ばれたオランダのアンダーグラウンドな実験音楽シーンにおいて、もっともアクティヴであり、かつ影響力を持ってきたグループであったが、それだけではなく、現在の「電子音響」とも強力なリンクを持っている。たとえば、フランス・デ・ワード、ロエル・メールコップ、ピーター・ドゥイメリンクスの3名は、カポテ・ムジークとしての活動と別に、90年代後半よりゴームという極度にモノトナスなミニマル・テクノ・ユニットを始動、既に10枚以上のアルバムと多数の12インチを発表している。ゴームのファーストCDである"STUD STIM"をリリースしたのは、カールステン・ニコライ=ノトのラスター・ミュージックだった。その他、ミル・プラトー(ドイツ)、メゴ(オーストリア)、12K(アメリカ)、ベータ・ボデガ(アメリカ)、ミューテック(カナダ)、ビップホップ(フランス)等々、各国の主だった「電子音響」レーベルから、ゴームはリリースしている。カポテ・ムジーク&THU20からゴームへ、というプロセスは、とかく見過ごされてしまいがちな、90年代の「電子音響」と80年代の「ノイズ・エクスペリメンタル」の連続性を示すものだと言っていい。
そして、彼らのような存在が、80年代以後に登場し得るような状況を用意するうえで、重要な役割を演じたひとりが、たとえばディック・ラーイメイカーズであったのである。けっして高い知名度を誇っていたわけではなく、ノイズ・エクスペリメンタルのシーンとも別のフィールドに属していながら、"CD VOOR INSTABIELE MEDIA"に参加していることが、その証左と言えるだろう。ラーイメイカーズは「現代音楽」の分野にも、「電子音楽」の分野にも、「実験音楽」の分野にも、けっして収まり切ることのない、破格のスケールとポテンシャルを備えたコンポーザーであった。むしろ、そのような脱領域的なベクトルが、後続のアーティストたちに多大な刺激を与えたのだと考えられる。そして、そのベクトルを裏打ちしていたものこそ、「現代のエレクトロ・アコースティック、電子テクノロジーと、音楽との間の関係性」をめぐる、鋭利で強靱な問題意識だった。