ディック・ラーイメイカーズがオランダ、ハーグで「ヘット・レヴェン」の活動を行っていたのと、ほぼ同時期の1972年に、ベルギー出身の作曲家アンリ・プスールが、ドイツ、ケルンのWDR(西ドイツ放送局)の電子音楽スタジオで、ある巨大な「習作」を制作していた。全8曲、トータルでほぼ4時間近くにも及ぶこの作品は、「Paraboliques」と名付けられていた。
アンリ・プスールはシュトックハウゼンやゴットフリート・ミハエル・ケーニッヒ等と同じく、WDRの電子音楽スタジオに設立当初から関わり、1954年には彼にとって最初の電子音楽作品である「Seismogramme」を同所で作曲している。その後、彼はルチアーノ・ベリオとブルーノ・マデルナの主導でイタリア、ミラノのRAI(イタリア国営放送)に作られた「音響学スタジオ(Studio di Fonologia)」に招かれ、「Scambi」(57年)を制作した。この曲を作るにあたって、プスール自身は二つの「主要な関心事」があったと述べている。
1。セリーの美学の一部である、一般的な非対称性という傾向を、音楽的-音響的な素材の最も微細な粒子にまで適用すること。
2。われわれの注意を引きつけてきた、開放的で可変的なフォームのアイデアを、エレクトロニックなレヴェルで実験し、選択肢をリスナー自身に与えること。
「Scambi」は、ホワイト・ノイズを基にした16のシークエンスをミックスすることで作られており、ベリオなどプスール以外の作曲家によるものも含む複数のヴァージョンが存在している。プスール自身によるヴァージョンのひとつを、彼の初期の電子音楽作品を集めたCD"ACOUSMATRIX4 Henri Pousseur:ELECTRONIC WORKS"で聴くことができる。電子音楽というジャンル自体が、まだ生まれて間もなかったということもあり(シュトックハウゼンの「習作」と同時期である)、非常にプリミティヴな印象を与えるが、プスールの多くの作品に通底する「開放的で可変的なフォームのアイデア」が、すでに電子音楽にも適用されていることが興味深い。
58年にプスールは母国ベルギーのブリュッセルで電子音楽スタジオの設立に尽力し、電子音楽のコンテクストにオーケストラとコーラス隊を導入した「Electre」(60年)を発表しているが、その後は、ブーレーズ直系のハードコアなセリー主義を独自のスタンスで追求しつつ、フランスのいわゆる「ヌーヴォー・ロマン」の代表的作家のひとりであるミシェル・ビュトールとのコラボレーションを継続していく。二人の代表作である「あなたのファウスト」(60〜67年)は、ビュトールのテキストに、プスールがテープとヴォイス・アンサンブルによる曲を付けたミュージック・シアター形式の大作だが、『時間割』(56年)や『段階』(60年)などといったビュトールの小説と同様、通常の「小説/音楽」のように「読む/聴く」という行為がアナログな時間の流れには拘束されておらず、コンサートでの演奏は、次の展開を選ぶ観客の投票(!)によって進行し、のちに発表された3枚組のLPでは、一種のトランプを使ったゲームをやりながら曲の順序を決定することになっていた。これが「開放的で可変的な形式のアイデア」であり「選択肢をリスナー自身に与えること」であることは言うまでもない。二人のコラボレーションとしては、他にビュトールのテキストと朗読を含むミュージック・コンクレート作品"Liege a Paris"(77年)などがある。
1972年の夏に18年ぶりにWDRの電子音楽スタジオへと戻ったプスールは、3台の4トラック・テープ・レコーダーとミキシング・テーブルに、非常に低い周波数を含む電子音にヴォルテージ・コントロールド・モジュレーションを施しつつ、リアルタイムでミックスしていくことで、「Paraboliques」の「作曲」を行っていった。すべて30分前後の全8曲から成る「パラボラ習作」は、シュトックハウゼンの講義の朗読をコラージュした最後の1曲を除いて、編集などのポスト・プロダクションは一切行われていない。つまりこれらは実質的には、WDRのスタジオ機材を使った、プスールによる一種の「インプロヴィゼーション」だったのである。
ところで「Paraboliques」の全容は、その制作以後、かなりの長い期間に渡って公表されていなかった。なぜなら実はプスールの真の企図は、極言すれば、8曲の個別の内容にはなかったからである。彼はもともと、この8つのトラックを、更にライヴ・ミックスするために制作したのだった。"ACOUSMATRIX4"には、このCDのためにプスールが90年に特別にミックスした「Paraboles-mix」が収録されている。これは「Paraboliques」の8曲から、2曲をそのままの形で、1曲を2つのパートに分割して、更に2曲から幾つかのフラグメントを抜き出して、全体として40分の長さにミックスしたものである。この他にも幾つかのフェスティバルで、その都度異なった長さやミックスによるヴァージョンが披露されている。
「Paraboliques」が、CD4枚組の"8 Etudes Paraboliques"として正式にリリースされたのは、今年になってからのことである。制作から実に30年が経過しているわけだが、むしろこの時間的な隔たりが、技法的には当時としてもけっして飛び抜けて先端的というわけではなく、むしろいずれもかなりシンプルなアイデアと構成を持った8曲を、一種の紛れもない新鮮さとともに聴くことを可能にしている。
言うまでもなく、そのようなシンプルさには、追って多様にミックスされることを前提としての方法的な配慮があったには違いない。「Paraboles-mix」は、一定の音響的な複雑さと構造的な豊かさとを備えており、それが5つの曲の断片を繋ぎ合わせたものであることを知らされなければ、ごく典型的な電子音楽のひとつとして受け取られるような作品となっている。つまり、プスールはそのような「Paraboles-mix」を、無数に産み出し得るような、一種の「システム」として、この作品を構想したのだった。実際、原理的には無限の可能態を孕んでいる、この作品は、最終的には「パラボラ・システム」と呼ばれることになっていたのである。
"8 Etudes Paraboliques"のライナーノートの末尾には、次のような文章がある。
「このコメンタリーを終える前に、私としてはこう助言しておきたい。熱心な方は、自宅でオリジナルの"パラボラ・ミックス"を作るために、少なくとも2台のCDプレイヤーを必要とする。もしも彼もしくは彼女が1組のセットしか所有していないとしたら、それぞれの曲は自然とそこに含まれていない他の6曲と組合わせられることになる(註:各々のCDには2曲ずつ収録されているため)。これですでにかなり多くのコンビネーションが許されるが、もしも、ごく僅かな制限さえ回避したいのならば、少なくとも2セットは必要になる」(アンリ・プスール)
つまり、プスールは、「Paraboliques」のミックスの「選択肢をリスナー自身に与える」ために、8つの「パラボラ習作」のCDとしてのリリースに踏み切ったわけである。そしてすでに触れたように、こうした姿勢は「Scambi」から一貫している。
だが、実のところ、「開放的で可変的なフォーム」と呼ぶには、この「パラボラ・システム」は巨大過ぎ、敢えて言うなら、いささか鈍重なのではあるまいか?。プスールが述べているようなミックスのやり方には、自ずから限界がある。それは確かに「原理的には無限の可能態を孕んでいる」が、あくまで「原理的」なのであって、たとえCDプレイヤーが何台に増え、使用可能なディスクが何セット増えたとしても、現実的には、おおよそ1時間ほどが録音された4種類のCDというフォーマットは、けっして変わらないからだ。
だが、より問題なのは、個別のミックスによって得られる「Paraboles-mix」が、むしろそのミックスが巧緻であればあるほど、いわゆる「典型的な電子音楽」へと近づいていってしまうということである。端的にいって、それは現在の耳で聴くと、ほとんどまったく面白くないのだ。多様な可能態の中から選び取られた、ひとつひとつのヴァージョンは、単によくある「電子音楽」の一例に陥ってしまうのである。
"8 Etudes Paraboliques"を、1曲ごとに独立した音楽として聴くという行為は、ほとんど作曲家の意図に反することであるのかもしれない。だが、少なくとも「電子音楽」と「電子音響」の「非=クロノロジカル」な関係性を推し量ろうとするわれわれは、ある意味ではプスール自身に逆らって、これらのシンプルなトラック群に、いやこの「シンプルさ」それ自体に、耳を澄ます必要がある。その時、俄かに立ち上がってくるのは、プスールの「主要な関心事」のもう一つの項目で言及されていた、「音楽的-音響的な素材の最も微細な粒子」というものである。